< ザ・マイケルブログ!>

はじめまして! goo からやってきたマイケルと申します。よろしくです。

💎 作起子さんの四十九日 ( ふしぎなアクシデント )

 


作起子さんが逝ってひと月半がすぎた
5月1日  早朝の5時40分のこと
出勤途上のいつものルートを普通に歩いていたら
アスファルトの舗道をこっちにやってくる
見慣れない来訪者の姿があった

背丈は40〜45cmくらい
猫かと思ったが歩きぶりがちがう
というより鳥だろう、これ?
とぼけた足取りでぽしょぽしょと無防備に歩いてくる

なんで? 
こんな都会のまんなかに? 
一瞬鳩かと思ったがそれもちがうようだ
なにより嘴のさきが黄色いし 
ぽしょぽしょとよくまわる足にしたって 
まぶしいくらいの蛍光オレンジ色だ

しかも 明らかに
こっちにむかって進んできてるじゃないか
朝の光にほのかに染まりはじめた横浜市街
まだだあれも歩いていないまっさらな舗道のうえを

鳥の種類にくわしくないぼくには
彼がどの種の鳥なのか分からない
ただ鳩よりひとまわり大きかったので
たぶん彼はアヒルなんだと断じることにした

まっすぐに近寄ってくるそんな彼に
とりあえず挨拶を投げてみた

おい、なにやってんだお前 こんなところで?

けど 彼はそんな呼びかけに一向に頓着せず
やっぱりまっしぐらに接近してくるばかり
と思ったらもうぼくの膝下だ

おいおい、無邪気すぎだろう?
ぼくは腰をおとしながらやんわり注意した
人のなかにはタチわるいのもいるんだぞ
蹴られたり喰われたりしたらどうするつもりだ!?

ぼくは彼の目をのぞきこんでみた
そのなかに警戒の色は微塵もない
とぼけたみたいな上目遣いでいくらか首をかしげ
高い位置のぼくの顔をぽよーっと見上げるばかり

近い距離からのぞいたそのつぶらな瞳には
ふしぎな強さと愛嬌とがあった
ぼくら人間の瞳は誰のものにせよ
大抵の場合、世間の心配事や気苦労でにごっている
彼の瞳はそうじゃなかった

ぼくはちょっと驚いて
おお、お前スゴイじゃん! といいながら
彼の後頭部あたりを撫でようとした
すると瞬時に 彼はすばやいヘッドスリップを見せた
ぼくの愛撫は空を切ったわけだが
ぼくはなんだか嬉しくなってしまった

よし、じゃあ左右のワンツーだ
おりゃと左ジャブから右ボディタッチのワンツーで攻めてみる
したら 彼はそれをウィーピングとフットワークで凌ぐのだ

ひゅーっとつい口笛なんか吹いちゃった
だって嫌がってないんだもん
もちろんボクサーみたいに俊敏なわけじゃない
のったりしてて本気タッチでぼくが攻めたら
彼をさわることはでたぶんできたろう

でも そうしたらこのすてきな出会いが終わっちゃう
なぜだかそんな気がして
ぼくは彼のことをさわれなかった
彼もそのあたりの機微は充分理解してるようで
ぼくからあまり離れようとはしないんだ

ふしぎだよね こんな都会のまんなかで
たがいにさわれるような近距離で
ぼくら2人は奇妙なシャドーボクシングをして
いつのまにか無心に遊んでいたんだ

時間にして2分弱くらいだったと思う
ふたりして楽しかったんだけど 
ぼくは自分が通勤途中だったことを
ふと思い出して

あ。やべっ。
そろそろ行かなきゃ、だわ
お前も元気でやるんだぞ ーーー 死ぬなよ!
で、ぼくは去り際にスマホで彼のショットを幾枚か記念に撮って 
そうして ぼくらは別れたんだ・・・

出勤したぼくは会社の誰彼なく
今朝の出会いのことを喋りまくった
えー アヒルが歩いてきたあ? 
まさかあ うそでしょう?

そんなリアクションも当然あったけど
証拠の写真を見せればみんな納得する

へえ 珍しいこともあるもんですねえ!  って

そんな風にまったり盛りあがっていたら
後ろの席で最年長のFさんが大きな声で叱るみたいにいってきた

なにいってんのよ、イーダさん
今日は5月1日でお母さんの四十九日だって
あんたまえからいってたじゃない?
忘れたの?
それ アヒルじゃないよ お母さんだよ
あんたに会いにきたんだよ!

にぎわっていた座がしんとなった。

仕事が一段落した昼休みに
ぼくは会社をぬけてあかねさんと
町田にいる妹に電話した

あかねさんはラインに送った写真を見て
これきっとアヒルじゃなくてカルガモですよ
ちょっと待って 1度切って確認します
あ、やっぱり! 
カルガモですよ、カルガモで間違いない!

妹もいままでにあまり聴いたことのない声になって

お兄ちゃん ーーー あたし お母さんが死ぬちょっと前
眠ってるお母さんにいったことがあるの
お母さん、もしお母さんが死んだら
鳥になってあたしたちに会いにきてねって
意識があったらこんなこといえないじゃない?
だから 眠ってるときにそういったんだ

えっ、じゃああのアヒル
じゃないカルガモは、作起子さんだったのか ーーー

お母さんじゃなくてもその使いみたいなものかも・・・

じゃあ、作起子さん 寝てるときに
お前がいったことちゃんと聴いていて
約束を守ってくれたんだ・・・?

うん、カルガモって選択がお母さんらしくてなんか笑えるけど
今日ってほんとに四十九日だしね 

日常の窮屈で堅固な視座がゆらめいた
新横の晴れわたった青空がぐーんと高みをまして
作起子さんが懐かしいあの声で
ふうわりと軽やかに笑いかけた気がした ーーー。




 

 

 






💎 作起子さんの花( 母に捧ぐ )

            


作起子さんは花のように笑う
物心ついたときからそうだった
世間の仕組みやしきたりも知らず
言葉すらおぼつかない
まだほんの幼児だったころから
ぼくの日常にはいつも作起子さんの笑みがあった

作起子さんはよく笑った
レースのカーテンごしの眩しい光を浴びながらの
朝いちばんのおはようの笑み

海岸への散歩に出かける矢先に
むずがるぼくを見てふいにはじける
いかにも愉快そうな笑い声

ぼくを叱りつけたしばらくあとで
泣きっつらのぼくにゆっくり近づいてきて
すーっと浮かべる特別製の
春みたいな ―— 仲直りの微笑

ぼくの時間はそんな作紀子さんの笑みから始まって
ぼくらの狭い鵠沼の家は
いつでも作紀子さんの笑いの花粉でいっぱいだった

寝具のすぐ上に吊るされたベッドメリー
その回転にあわせてくるくるまわるそれらの花粉たちは
常にこういっていた

おーい この世界はいいところだよー

言葉よりももっと深い音楽で
幼児のぼくは
作紀子さんのそうした花粉の音楽に
くるまれて育ったんだ

自分的にはあたりまえのつもりでいたけど 
これってたぶん恵まれていたんだろうな
成長して 家を出て独立して
外の大人の世界を知るにつれ
世界が作起子さんの法則だけで
できてるわけじゃないってことが分かってくる

暮らしの荒野はどこまでも不毛だし
孤独と誤解と憎しみの袋小路に迷いこんだら
おいそれとその闇路地からは出られない
ぼくも身を削って自分なりにがんばって
いっちょまえになれたって思ってた

でもさ 作起子さんが逝ったとき
ぼくは世界が終った、と思ったんだ
どうしてだろう?
こっちのリアル世界が
夢細工の模型みたいに半透明になって
自分が何者にもなれていない
ただのいい気な坊ちゃんだってことが
ありありと分かったんだ

作起子さんは最後は苦しまなかった
呼吸の幅が徐々に長く浅くなっていって
最後の長い呼吸がゆっくりととまって
まるでいつも通りの昼寝に入るときの
一連の仕草のようにしか見えなかった
苦痛からの歪みなんてどこにもない
静かで安らかすぎる旅立ちだった
妹夫婦とぼくはそれをずっと見守っていて ・・・

あ~あ、終っちゃった
こんなところに取り残されちゃった、
と思ったよ
こんなところっていうのは現世
ぼくにとって大事なはずの現世が
まるで空っぽの虚ろ世界みたいに感じられたんだ

作起子さんの抜けた世界には
音がなかった
物語も 目標も 世間の法則も
それこそなんにもなかった
日常は色彩を失った影絵芝居となり
幸せ、愛とかいった単語も
外国語みたいに
縁遠い
はかない響きでもって鳴りはじめ
作紀子さんという支点がぼくにとって
どれだけ大きなものだったのか
ぼくは徐々に思い知らされることになる

ぼくのあれこれのやんちゃの歴史も
すべては作起子さんという確とした
花壇があったから
だからこそ安心して
ぼくは自分勝手なやんちゃにあれほど
熱中できたんだ

夜中に死亡診断書を書きにドクターがきて
葬儀屋が作起子さんの遺体を運んでいって
空っぽの新世界に身の置き場のないぼくには
そうした雑事がありがたかった
ロボットみたいにマニュアルに沿って動きさえすれば
どうしょもない空虚な時間をやりすごすことができたから

妹夫婦と3人でお茶を飲んで
それから少し寝て
その翌朝 横浜の自宅に帰った
仕事先から直接きてたから
背広やら着替えやら住所録やらが必要だった

そしたら到着してからすぐ
妹からラインが届いた
妹宅の玄関先に今朝方 
青い花が咲いたのを見つけたっていうんだ
おかあさんの花だよ、と妹はいった

ツルニチニチソウ 
キンポウゲ科の花だそうだ
画像も添付されていた
清楚で凛としたとびきり美しい1輪だ
それを見たぼくは懐かしいめまいを感じ
遠いむかしの
鵠沼の家のことを思い出していた

天井から吊られたベッドメリーの回転と
作起子さんの幾百もの笑みの花粉が
たがいに絡みあって
部屋の空間いっぱいに群舞するあの光景 ーー
花粉たちはあのときと同じようにいっていた

おーい この世界はいいところだよー

ああ、と思わず立ち上がっていた
窓をあけてベランダに出た
妹宅のある町田側の
いくらか雨模様の西の朝空を
ぼくは食い入るようにいつまでも見つめていた ―— 。


 

💎 2025.12.21. 相模原病院にて。



  2025.12.21. 相模原病院にて

母の最後の夜
病室のベッド脇に
簡易ベッドを敷いて
母とともに眠る

はるかな過去に
母が私にしてくれたように
やつれた眉が苦しげに歪めば
母の甲に手を寄せ

大丈夫、心配ないよ とささやき

母の好きだった童謡を
スマホで小さく耳元で鳴らしたり
子供のころの思い出話を囁いたり

そのようにして母を送る

いったいこれまで
どれだけ多くの人がこのようにして
幾億もの母を送ってきたのだろう

胸破れながら
母の死後の幸いを願いながら
母の舟を生命の大河の本流に乗るように
別離の辛さに歯噛みしながら
母の旅立ちを精一杯に祝福しながら
母の舟を押す

辛い夜だ
寒い夜だ
脇にやつれた母の横顔を覗きながら
私は母の逝く遠い銀河に思いを馳せる

ああ、母よ
あなたはまっすぐに行け!
私はあなたの去った道筋を
永遠に忘れず
心の奥底に刻みつけ
その円筒の底からだけ
今後 世界を見つめ続けようと思う

あなたの去った世界は
かつてのあなたのように美しいだろう
遠いはずの銀河が
なぜだか今夜は自分のすぐ頭上にあるようだ

あなたの見えない光が照らす
今日の銀河は
生まれて初めて見る
どこか凄みのある美しさだ
私は目を閉じて
それと同時に目をあける

母の舟がいくのが見える
苦痛と別離の淋しさに
ぎちぎちと歯噛みして
けれども それら以上に恍惚としながら
私はあなたの舟をそっと押す

過去世に幾度もそうしてきたように 
これからの来世でもきっとそうするように

母の舟がゆっくりと岸を遠去かる
私はそれを見送る
今後のあなたの行先が
幾千万もの銀の星々の
さらに彼方の無限にまで達するようにと

うめきながら
壊れながら
痛みながら
祈りながら・・・

母の舟が銀河を滑るように進み
母の舟が越した銀河は
そのまま空蝉のこちら岸にぶつかって
波濤となり光の粒に散って砕ける

ああ、花だ、と私は思う
そうか 死とは花なんだ
懐かしい匂いがする
なんて残酷で優しい花だろう
あらゆる恍惚に身を散り散りに裂かれながら
去りゆく母の舟を
私はいつまでもいつまでも見つめている・・・。

♠ 作紀子さんはこの1週弱前から、Dr にもってあと2、3日です、
   と余命宣告をされ、僕は 12/20 から 12/23 まで相模原病院の一室に
    介助ベッドをつけてもらい母のすぐ隣りに泊まりこんでいたのでした。
  今日でだめだ、いや、今日こそだめだ、といった悲痛な看取介護が続き、
  この詩は,その病状がいちばんひどかった 21日の夜中に、
  簡易ベッドで危篤の母の激しく上下する胸元を見ながら
  スマホのメモ帖に即興で書きつけたものです。

  一言、悲痛でしたね。
  ただ、作紀子さんは、驚いたことに凄い生命力で生きのびたのです。
  その後、妹夫婦の家にもう1度看取介護で引き取るというかたちになり
  2026年の 2/3 古淵の妹宅に母は戻ってきました。

  最初はもうみんなで大喜びしてまさに「歓喜」だったのですが、
  口からは何も入らなくなって
  いよいよ点滴も入らなくなって
  徐々に作起子さんは弱っていきました。

  そして、2026年の 3/14 19:10
        作起子さんは逝去しました。
   90才と7ヶ月の生涯。
   僕にとって素晴らしい人でした。
        最後はなんか神さま入ってたな。
        もう少しだけ  
  こんな作紀子さんと僕の物語を続けていきたかったんだけどな・・・

 

   

💎 < 突破者(とっぱもの)高市早苗のニッポン革命 >を祝福する ―― ❣


 2025年10月21日、高市早苗内閣が正式に発足した。
 自民党総裁戦のとき、高市さんの対抗馬である小泉進次郎がその座を射止めるだろう、といった予想がマスコミ界隈でしきりに喧伝されていたけど、僕はなんとなく高市さんが勝つんじゃないかという気がずっとしてた。

 根拠はない。
 第一、僕は彼女のことをよく知らなかった。
 いろんなことがあって、当時の僕は、政治というものに対してほとんど興味を失くしていたのである。
 ただ、もっと広いアングルから見てみると、小泉進次郎が自民党総裁の座を獲得したとしても、今の僕等の時代を覆うこのどんよりした閉塞感が晴れることはないだろうな、といった予測が前提としてまずあった ――— ということを報告しておくのが、この場合は公平なのかもしれない。

 いわゆる鈍色の憂鬱予測というやつですわ。
 でも、それは僕だけじゃなくて、たぶんあらゆるひとがそう感じていたことと思う。
 誰ひとり責任を取らないで、仲間同士でなあなあと誤魔化しあう相互追従を「 政治 」と呼ぶ国会の風景に、僕等はあまりにも慣れすぎ、また倦みすぎてもいた。

 考えるより先にうつむいちゃうんだよ。
 誰が総理になってもニッポンの政治なんて変わりゃあしないさ、といった苦い諦めグセは僕のなかにもしっかりと根を張っていたわけだ。

 ところが ―――!

 新内閣発足と同時に、僕のそういった残念予測は見事なまでに打ち砕かれた。
 信じられんぞ、おい。
 自分が規定していた現実認識が、実はニヒリズムという名の諦めの一形態であり、この呪縛を解き放つ開放感がこれほど「 気持ちのいいもの 」だったとは。
 まるで大谷翔平の3ホーマー10奪三振を間近で見せつけられたかのような驚き!
 そんな驚きのあとからじわじわと喜びがやってきた。

――— や、やるじゃんか、高市さん・・・!

 新内閣の布陣からして、従来のニッポンとは全く異なった新
世界のにおいがプンプン香ってた。

 日本財務大臣に片山さつき! ――― これは、従来の財務省ロジックからすると、青天の霹靂級の、慣例破りのショッキングな決定だった。

 そして、経済安全保障担当大臣、外国人との秩序ある共生社会推進担当大臣、内閣府匿名担当大臣という新しい重要ポストには、なんとあの小野田紀美! ――—

 これらを聴いたときには、僕は文字通りぶっ飛んだ。

ーーー おいおいマジか・・・幕末かよ!

 歓喜と不安とが口腔内で混じりあって爆ぜるような、ふしぎな感覚だ。

 




 想像もしてなかった革命的な人事だったからね。
 とっさに浮かんだのは、裏社会用語として知られていたあの「 突破者(とっぱもの)」というコトバだ。

 けど、なんといったらいいんだろう?
 自分内不安が自分内歓喜に呑まれていくこの感覚を?
 無双だった、これは ――— もう、気持ちいいったら!
 僕的にいわせてもらうなら、高市、小野田、片山の3人は究極のイケメン美女だ。
 全員が全員好みというか、目線が前向きで、ソリッドでいて同時にハードボイルドでもあり、なおかつアタマでっかちの印象がかけらもない。
 行動する美神だと思ったね、みんなして。
 うん、思索派にも言論派にもそれなりの敬意を払うつもりだけど、僕がいちばん好きなのはこうした行動派のニンゲンなんだ。

 しかも、全員、行動の初動が速いわ速い!
 10月21日に高市内閣が誕生して6日後には米大統領のトランプが来日し、トランプ本人と米海兵隊とを刹那のうちに高市オーラの引力圏に引きこみ、さらにマスコミも世界も同時に熱狂させた。

 

 


 世界のサミットで日本の首相が中央になって写真を撮られたことなんか、これまでにあったかな?
 もう、何から何まで初モノづくし!
 小野田紀美
のあの電撃の外国人政策 ――― 特に中国系へのカウンター政策には戦慄したし、片山さつき氏の財務省への斬りこみようにも震えた。
 長らく国民放送として君臨してきたNHKの傲慢栄華も、彼女らにこうも攻められたら長くは持たないんじゃないの?
 ねえ、故・森永卓郎氏にもこうした光景を見せてあげたかったよ。
 従順の国として長いこと舐められていたニッポンの、この新たなる艶やかなサムライ衣装をさ(笑)

 僕はね、いまのこのニッポンの流れを「 第2の幕末 」として捉えてる。
 自分の目の黒いうちに、こんな素晴らしい歌舞伎演目が拝めるなんて思ってもみなかったよ。
 彼女らはかつての維新の高杉晋作や西郷隆盛らと等価の存在であり、未来永劫語り継がれる希望へのアイコンである、と僕は思う。
 現代ニッポンに蘇ったこの3人の卑弥呼たち ――— 日ASEAN 首脳会議で東ティモールのグスマンさんが魅せられたのは当然だよ。

 カッコいいもん、高市さん ――— もうこれはマジで政治界のビートルズだよ。
 ドナルド・トランプのイスラエル応援にはいまだ絶対に賛同できないけど、彼が世界最強国であるアメリカ合衆国のトップであり、かつ無類の行動力をもった大政治家であるって点を否定できるひとは恐らくいない。

 高市早苗はそんな怪物トランプをも瞬時に魅了した。
 クレオパトラかよ?――― 世界外交の最前線では、人間的魅力がこれほどのパワーになりうるなんて、いままで思ってもみなかった。

 というわけで僕はいま高市早苗総理の動向に夢中なんであります。
 ただ、WINDOWS8.1を積んだマイPCがそろそろ機能限界になってきたんで、師走までにニューPCを入手しないと、新記事をサクサク上げていくってことはまだまだできかねる状況なんですが、ま、そのへんはのんびりやっていきたいなあ、な~んて考えたりしています。

 今日の僕記事はこんな感じかな? ――― 高市新内閣にささやかな青空色のエールを送りながら ――— お休みなさい (^0-y☆彡


 

💎 多恵ちゃんの新作に寄せて



 懐かしい多恵ちゃん、返事遅れてごめんなさい。
 この6月の16日に俺ひさびさに新宿に出て、多恵ちゃんの絵を見てきました。
 世界堂のビルって面白いね。
 1Fの売り場もそのほかの階も、ギャラリーになっていた6Fも、それから来店して何気に歩いてる老若男女すべてのお客からも、芸大関係者の香りがぷんぷんするんだよ。

 ギャラリーフォンティーヌに公募してきた作品数は結構多くて、うわ、こら見つけられるかな、とも一瞬思ったんだけど、ふわふわ歩いてたら、あったあった、これはまごうかたなき多恵ちゃんの作品だ! というのをすぐに見つけちゃった。

 ふしぎだよね。
 あれだけの量の展示作品があったというのに、そして、いかにも俺のは大作だぞーといった構えがびんびん鳴りわたっているような、押し出しの強い気配に充満したあのギャラリーのなかで、あんなに小さくて地味っぽい多恵ちゃんの絵をすぐに見つけられるなんて。

 「 駅構内のフリーマーケット 」かあ。

 メイコちゃんと旅したころのタイでの思い出なんだってね。
 思い出っていうと俺等はフツー絵葉書みたいなものを連想しがちなんだけど、多恵ちゃんの絵にはそうした軽さは微塵もなくて、ほんの一畳ばかりの店舗場所を描いているはずの絵空間が、それ以上の豊かな深い奥行きをみっしりと宿しているように感じられたの。


 一瞬で目線を折り取られたよ。
 わ。やっぱ多恵ちゃんだ、と思った。
 低い位置に飾られていたから、ちょっぴり中腰になって見入っちゃったよ~、うん。

 正直にいうね。
 芸大の卒展の多恵ちゃん作品を見たときから、俺は君にビビってます。
 ほかのひとの絵はみんなそれなりに達者で、デッサンなんかも凄く上手いんだけど、それらの絵からはいわゆる芸術的感興をそそられるというより、それぞれの社会性のほうが強く伝わってきちゃうんだ。

 精緻なデッサンで全体の構図を組み立てて、ここ、ここの猫の笑いで意図的な破綻をあえて作って、それでみんなをびっくりさせてやれ、とか ―――

 どう? 淋しいでしょう、あなたもだんだん淋しくなってきたでしょう? 芸術って淋しくて孤独なものなのよ。僕は芸術家だからそこのところをあなたに伝えたいんだ。そのための試みがこの絵。どう、そのへんが君達にも分かるかな? とか ―――

 言葉に還元できないものが絵画芸術のなによりの特徴であるはずなのに、そういった言葉のプロジェクトに易々と翻訳できそうな作品が多かった気がするな。もちろんこれは、俺のいくらか傲慢チックな決めつけ目線ではあるんだけれども。

 多恵ちゃんのこの絵のなかには、そういった肩肘張った力みがまるでない。
 怖いくらいの自然体だ。
 あと、この絵のなかには CM がないね。
 そして、たぶんどんな企みもない。
 そんな静かな凪いだ目で見られた、この売り子の子の左手の造形がなんて見事なことだろう。ゴザの上に重ねて敷かれた絨毯の波打つあたりのゴワゴワ感も、手触りとして伝わってくるくらいにリアルだし、両膝のすぐ前に展示された売り物の人形のあどけなさときたら、もうハンパじゃない。

 あと、絵全体のリードポイントを取っているのは、なんといっても店主であるこの少女の目!
 このつぶらさはどうよ?
 彫り師が仏像を仕上げて寺に奉納するとき、位の高い僧が必ず「 魂入れ( たまいれ )」という祈祷を行うんです。
 それでもって初めて彫り師の一作品が、正規の仏像として生きはじめるわけ。
 寺院から博物館とか私人に仏像が渡るときには、これとは逆のことが行われるの。
 それが「 魂抜き( たまぬき )」
 人形師なんかもおなじことをするらしいね。
 で、たぶんこの絵の作者である多恵ちゃんも、無意識のうちに同様のことをやったんじゃないかって俺は感じてるの。

 うん、この子には「 魂( たま )」入ってるよ。
 確実に入ってる。
 多恵ちゃんはか~んたんにすいすいとこれ画いちゃったのかもしれないけどさ、このあたりの絵筆のノリはちょっと並じゃないですよ・・・。
 
 美術的なアングルからいえば、長年の修練で培ってきた多恵ちゃんの細かいメチエの集積が、この小さな傑作を完成まで導いたのはほぼ間違いないことと思うんだけど、それよりも俺が重要視したいのは、この作品を完成させるにあたって、多恵ちゃんがこの作品をどんな風に見せたい、だとか、見ているひとをどんな風に感動させてやろう、だとか、そんな風に企んだ形跡がどこからも見透かせないって点なんだ。

 計算と欲目って匂うのよ。
 人間ってそうした化粧好きの生き物だから。
 それがまったくしない作品との出会いは、俺にとっていつでも驚きだ。
 でも、そうした小さな我欲から離れた、企みのない作品ってのは俺等の日常の営みの埒外にあるわけだから、やっぱりちょっと怖くもあるよね?

 でも、このタイの少女の絵を見ているうちに、俺は、あっ、この感覚まえにどこかで味わったことがあるぞ、と思いあたった。
 記憶の底をまさぐってみたら、それ、やっぱり版画家であられた、多恵ちゃんのお母さんの作品でした。

――― ああ、道理で。この絵なんかに似てると思ったら、多恵ちゃんのお母さんの作品に似てたのかあ・・・!

 原始の生命の舞踏をそのまま見て描いたみたいな、多恵ちゃん母さんの強烈な作風と、一見もの静かにも見えるこの多恵ちゃんの絵とが、中腰で絵を眺めていた俺のなかでがっちりとリンクしたのは、そのときでした。

 うん、一見しただけじゃそれぞれまるで別の作風としかいえない、というのも本
当なんだけど、それでも俺はおふたりの絵は似ている、と思ってしまったなあ。

 そうか、DNAまで加担してたのかあ。
 一代きりで画けるような絵じゃないとは思っていたけど、やっぱりな・・・。

――— おいおい、いい気になって戯言吹くんじゃないよ。多恵ちゃんのお母さんと多恵ちゃんのこの絵の・・・一体どこが似てんのよ? いってみろよ。

――— う~ん、うまくいえないけど、なんとなくこのふたり、社会性を棄ててるみたいなとこがあるじゃんか。

――— 社会性を棄ててる? なんて失礼なことをいうんだ、おまえは・・・。多恵ちゃんは結婚だってちゃんとしているし、しっかりとまじめに暮してもいるじゃないか。風来坊のおまえにそんなこといえる資格があるのかよ?

――― いやいや、資格とかそんな大層な問題じゃないって。俺はさあ、おふたりの目線にはどっか似てるとこがあるっていってるだけだよ。なんというかさあ、ふたりともスゲエ優しい目線で対象を見つめているんだけど、その優しい目自体がときどきギラッと無慈悲に輝くんだよ・・・。

――― おまえ、なにいってんの? 意味が、分かんねえよ・・・。

――― 分かんなくてもいいよ・・・。俺だけがそう思ってるとしたって、それはそれでいいんじゃない? 感性的なことで別に多数派になびく必要もないだろう? 特に美術だとか音楽だとかのアートの領域においては。俺は自分なりに感じたことを自分なりにいってるだけだよ。それのどこがわるい・・・?

――― いや、別にわるいとまではいってねえよ・・・。

――― じゃあ聴き流せよ。さもなきゃ黙ってろって・・・。いいかあ? 多恵ちゃんのこの小さな絵のなかには、優しさと無慈悲とが両雄並び立って暮らしてる。あえて名付けるなら、無慈悲な優しさとでもいうのかな? そしてさあ、無慈悲な優しさを持っているひとって、普通に優しいといわれてるひとよりずーっと優しいんだよ!  たぶんな。俺はそう思うね・・・うん、誰がなんといおうと断然そう思うね・・・。

 前に多恵ちゃんが展覧会のために上京したとき、俺は多恵ちゃんの小さな版画作品を一枚買ったんです。
 つきあいはそれほど悪いほうじゃないとは自分でも思うけど、俺はつきあいで絵を買うようなことは絶対やらないよ。
 買うのは、その作品が好きだからだ。
 いい絵、画くようになったねえ、多恵ちゃん。
 また上京する機会があれば、是非お知らせください。

 今日の僕記事は以上です――― お休みなさい。

 




 

🍊 みかん姉昔語り( いまは亡き独立党と上高地とSさんについての物語 )

 

  < 前口上 >
 Hello  皆さん、みかん姉の記事、読んでくれて感謝のマイケルです。
 ただね、残念ながら、せんじゃさん関連の記事は、前回のアレでお終いということになってしまいました。
 あかねさんの提案で姉さんが実行した、宅急便を使った「 水菓子送付作戦 」によって、せんじゃさんの携帯がいまだ生きていて、送受信可能であるということが判明してしまったためです。

 要するに、みかん姉は、それまでに何度も何度もせんじゃさんに電話をかけているわけですよ。
 だけど、返事がない。電話にも出ない。
 それにはなんかやむを得ない事情があるんだろう、と姉さんは思ってた。

 でも、そうじゃなかったんです ――― せんじゃさんは、みかん姉が自分にむかって幾度も電話で呼びかけてることに、みんな気づいていたんです。
 知っていてずっと無視してたんですよ。
 無視っていったら語弊があるかもだけど、心配するみかん姉に対して一回だけ電話に出て「 ガハハ 」と豪快っぽく笑ってみせただけでしょう?

 これって真剣に自分のことを案じてくれるひとに対して酬いようとする真摯な態度なんですかね?

 僕はそうは思わない。
 むしろこれは非礼ですよ。
 何十回と呼びかけつづけた姉さんの電話に一回だけ出て強がりのガハハ。
 で、あとは梨のつぶて・・・。

 むっちゃ冷たい一方的な別れのセリフみたいに聴こえるな。
 思いっきり恰好つけて、その自分飾りの物語にくるまれて、蛹の国に逃亡していったんじゃないのかな、せんじゃさんっていうひとは。

 人間の親しさっていうのは、僕は、みっともない部分を互いにどれだけ晒せるかってとこにかかっていると思うのよ。
 うん、たぶんだけど、本当の愛ってみっともないものなんじゃないのかな?

 ま、ひとの世って往々にして、こうしたすれ違いが起こりやすい場所ではあるんだけどね。
 自分が大事にしていた黄金色の思い出が、それを共有していた連れあいにとってはそれほど大事なものじゃなかったり。
 あるいはそれなりに大事には思ってはいたんだけど、その大事に思ういちばんピークの部分がふたりして微妙にズレていて、ひとつにまとまるより先に裾野のほうからばらけてしまう、なんて関係は僕等もよく見かけるところです。


 僕の見立てでは、せんじゃさんってそれほど他人を必要とするタイプじゃないように見えるんですよ。
 案外、破産っていう新しい境遇のおかげで、他人とのあらゆるコミュニケートから解放されて、むしろホッとしてるんじゃないのかな、なんてことをみかん姉と話したりもしました。

 他人とのややこしい気遣い関係がすべて煩わしい、という蛹の国に暮らすひとは実在します。

 そう区切るのはとっても淋しいことですが、この世にはこの種の淋しいことって溢れかえっているからなあ。
 せんじゃ話がどっちからも途切れがちになってきた7月の終りころ、たまたま僕があかねさんと7月の15日から17日にかけて上高地に行ってきたことを、何気にみかん姉に話してみたんですよ。

 したら、姉さんの沈んでた声が、そこでいきなりぱっと跳ねたの。
 あ。上高地ならあたしも行ったことある! あそこいいよね~ って。
 えっ!? と僕はびっくり。
 上高地が姉さんのキーワードだとは知らなかった。

 てなよなわけで、みかん姉の新しいクロスロードです。
 せんじゃさんという角を曲がってみかん姉がどういった景色と出会うのか、どんな新しい歌を唄ってくれるのか、さあ、皆さんも一緒に聴いてみようじゃありませんか ―――

     

 マイケルさんにあかねさん、上高地行けてよかったですね。

 上高地とは
 神が降りる地。神降地。
 まさに、その通りの美しいところです。

 私は岐阜県に住んでいるので、
 長野県側 ( 松本 )

  と

 岐阜県側 ( 高山 ) から
 2回ずつくらい行ったことあります。

 見上げるとすぐそこに焼岳、穂高の山々、
 梓川にかかる河童橋からの景色は素晴らしいですよね。

 その梓川、伊勢の五十鈴川の流れに似てません?
 同じく、空の青が、伊勢の青に似ているように見えます。
 穂高の神は、伊勢のアマテラスさんの姪っ子さんですから同じ神域なんでしょうね。

 上高地は、夜になると
 涸沢カールに登山者たちがはったテントから
 ランタンの灯りがチラチラして、とてもきれいだそうですよ。

 知り合いが上高地で泊まったことがあり、あまりのきれいさにうっとりしたと言ってました。

 そうそう。
 上高地は、独立党で仲良くなった女性とも行きましたよ。彼女は、東京に住んでてね。なんかの電話の時に

「 どっか行きたいね 」

 という話から、彼女が

「 私、行きたいとこがあるのよ。上高地。」

「 いいねぇ。上高地、行こうか 」

「 いい?  上高地の帝国ホテルの珈琲が飲みたいの 」

 この人は、独立党の講演にもれなく参加し、
 翌日はその地のカフェ巡りと観光をするんだと言ってました。「 カフェを探すのが楽しみなのよ、講演会はキッカケみたいなもんかな 」って  (笑)

 うん。そういう楽しみ方もあるんだな、と彼女に習い、独立党に入ってた時は、大阪、京都、名古屋、鹿児島、兵庫の講演会に行きましたね。

 翌日は彼女とカフェやらランチ巡り。
 独立党で知らない人と仲良くなれたのは、コシミズさんよおかげ ( 感謝はしてませんけど。すこーしはしてます  笑  )

 彼女( Sさん  )、大型バイクで来たんですよ。レザースーツの上下を着て、バイクにNAVI もサイドバッグもつけ、完璧にしてました。
 松本で待ち合わせてバイクも荷物をホテルに預け、最初の日は、松本城や観光巡り。
 翌日は朝からバスに揺られ、上高地へ。

 今度、書きますね。帝国ホテルの珈琲。

 マントルピースの周りでゆったりと ( 上客みたいな顔して。バレてるけどね 笑 )
 ビジターセンターを見て、明神まで行き、お腹空いたから戻ろうか、って、また河童橋まで戻って。

 あの橋って、ユーラユーラと揺れるんですよ。
 面白かったわ。

 独立党で知り合ったSさん、同い年でとても気が合って、講演会のあとは、ホテルで夜中まで話し合ったりしました。

 鹿児島でね、二次会のカラオケ、夜の11時になったから。
 Sさんに耳打ちして「 私、帰るからSさんも5分たったら出てきな。ホテルで思い切りしゃべろう 」ってね。
 で、テーブルの上に乗って踊りながら歌ってたコシミズさんに「 私、帰ります 」と言ったら

「 なんだよーみかん!  朝まで付き合え! 」と言われたので

「 やーーです 」

 コシミズさん

「 じゃ勝手に帰れ!」

「 はい。帰ります 」

 とカラオケを出ました。

 

 天文館の通りは若い人たちばかりが、うるさくなくマナー良く、賑わってました。鹿児島の人たちって穏やかでいいなぁと思いましたよ。眉間が広いんです、険しくないんだよね。街のあちこちの家、島津の紋が玄関にあるし。島津がきちんと藩をおさめてきた証拠。それが後世に出るんでしょう、行き届いているなと感じました。引越すなら鹿児島だね。

 あ、上高地の話でしたね。
 マイケルさんにも伝えたのだけど、
 上高地は神が降りる地。神降地。明神池におわす
 穂高見尊が降り立ちました。この人のお父様は、ワダツミの神。海人です。イザナギイザナミのお孫さんが穂高見尊。神話の世界になってしまうのでここらでやめます。

 さて、Sさんは東京からバイクに乗って、私は特急しなのに乗って、松本で待ち合わせました。

 ホテル近くの小さな喫茶店。駅からスーツケースをゴロゴロ引っ張ってその喫茶店が見えてきたら、Sさん、早くついて喫茶店の窓から見てたのかしらね。
 手をふって迎えてくれました。
 その頃、Sさんは独立党を辞めてました。
「 辞めたのよ 」と電話があったので、
 お祝いに、どっかで会おう。となったわけです。

 その日は、松本城を見て、ランチして、
 夕飯もどっかで食べて、ホテルの部屋 ( お互いにシングル ) で、ベラベラベラベラとおしゃべり。

 独立党の話題なんてそっちのけで、しゃべりました。
 それぞれの部屋でシャワーして、パジャマ着て、寝る体制にして、どっちかの部屋でしゃべり混む。Sさんはビール、私はつまみと夜食用のおにぎりと飲み物をコンビニで買って持ち込んでおしゃべり大会の始まりです。1時になったので

「 明日は早いバスだから、何時に下のロビーで待ち合わせようね 」と決めて、翌日は、ホテル無料の朝食を頂き、Sさんはホテル玄関前にバイクを預けて、駅前のバス停に向かいました。

 私はリュックにスニーカー、Sさんは、バイク用のウエストポーチにレザーブーツ。
 その組み合わせにちょっと笑えましたけど、
 彼女カッコよかったわ。

 バスは、街から緑深い山の中へどんどん向かっていきます。

 大正池で降り、河童橋まで歩きました。

 尾瀬のような木を渡した道。

 左には梓川、その向こうには焼岳。

 真っ青な空と川の流れ、そのコントラストの見事なこと。

 そうこうしてたら、河童橋、少し行くと、Sさんの希望の上高地帝国ホテルがあります。

 帝国ホテルに着きました。ここ、泊まるだけでめちゃ高いんですよね。中のロビーには大きなマントルピース。その周りにテーブルが並んでました。

 いらっしゃいませ。と丁寧なイケメンが案内してくれてテーブルに座り、珈琲を頂きました。


 ついでに
「 トイレに行ってみようよ 」となり、代わる代わるトイレに行きましたよ。【帝国ホテル】のトイレに入るなんて、人生でもうないかもしれないものね、なんてことを言い合いながら。

 珈琲は、あの頃だったので800円でしたよ。
 トイレと言えば、東京へ行った時、Sさんとお台場ツアーをしましてね。その頃、お台場をくるくる回る乗り降り無料のバスがあって、ヒルトン近くに来た時、トイレ行きたくなって、ヒルトン前で降りて、トイレを借り、ついでに珈琲飲んでいこうとなって

 シースケープテラス、とかいうレストランで珈琲飲みましたよ。ちょうど16時頃でね。だんだんと暮れてゆく光景を珈琲1杯で味わいましたよ。

 ベイブリッジ、飛行機、船、高層ビルに灯りがともっていくその様を言葉もなく、2人で見つめてました。

 すっかり夜景になった頃、席をたって、東京駅へ向かい、東京駅でイートインできるとこで、夕飯代わりのお弁当を2人で食べ、私は9時過ぎの新幹線に乗りました。


 上高地の話が飛んじゃいましたね。
 次々とSさんとの思い出が浮かんでくるので、、、

 元独立党。

 ほとんどの講演会に来てました。

 黒縁メガネの細身の女性。

 二次会も必ず出てで、コシミズさんに火をつけてあげてましたよ。

 どなたか知りませんか?

 電話しても電話しても連絡とれないのです。
 もしご存知の方みえたら
 マイケルさんにお知らせして欲しいです。

 

 独立党はほんの短い数年だったけど、
 思い出深い人たちがいます。
 独立党でなかったら出会えなかった人たちです。

 ぜひ、WANTED! お願いしたいです。

 上高地の話はこのあと、書きますね。
 ヒルトンのレストランから見える真っ青な空と海。
 まさにこの曲だったのよー

youtu.be

 真っ青な空が
 オレンジになり、
 紫色になり、グラデーションのように
 藍色になってゆく様を
 うっとりと頬杖をついて珈琲1杯で味わった。2時間くらいいましたね。

 今でも目に浮かぶわ

 夕暮れの中を飛ぶ飛行機 ―――

 藍色の海を静かにゆく船 ―――

 ビル群の灯り ――—

 この3種の素晴らしさを味わえたのは
 独立党があったからだと。

 Sさんと帝国ホテルで待望の珈琲を飲んだあと、
 明神池まで歩こうとなり、その途中、上高地ビジターセンターとかいう展示してあるとこに入りました。

 無料だったのでね  笑

 上高地の動植物とか写真などがずらりと飾ってありました。
 そこを出て、明神池へ。でもそこから結構時間がかかることを知り、
 河童橋辺りでお昼を食べようと戻りました。
 どうってことないお店で、どうってことないモノを食べ、そのあとの上高地ソフトクリームは美味しかったわ。

 本当は五千尺ホテルくらいのとこでランチしたかったけど、下調べ不足で叶わず。   
 五千尺ホテルって、カレーが有名みたいね。

 行けば良かった。残念。

 その頃はインバウンドも少なく、人ごみもあまりなく、山男たちが行き交ってました。自分の背より高いリュックを背負って穂高へ向かっていくんだなーと彼らを見送りました。

 そうこうしてたら、もう夕方。

 バスターミナル近くのトイレ、チップ制なんですよ。
 100円くらい入れた気がします。
 帰りのバスに揺られ、上高地がだんだん遠くなる。
 旅行って行きはいいけど、帰りが寂しいね。

 岐阜市には長良川という綺麗な川があり、そこで鵜飼が5月から10月まで行われます。小林一茶が読んだ句

「 おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな 」

 まさにこの通りですね。

 祭りのあとのさびしさです。

 松本駅につき、ホテルに戻り、それぞれの荷物を片付け、Sさんはバイクで中央道。私はまた特急乗車。

 再会を約束して

 駅でおそば食べてバイバイしました。

 

 松本の駅って改札内にもそばやがあり、
 駅ビル内にもおいしいお店があって、
「 うまいそばを食べたければ、駅へ行け 」なんだそう。
 ちなみに、名古屋はきしめんが有名で、
 各ホームの島にはそれぞれのきしめん屋さんがあります。その中でも1番おいしいと言われてるのが、新幹線ホームのきしめん。

 わざわざ入場券買って新幹線には乗らずに
 きしめん食べに行ったことあります。

 ぜひ、名古屋にお越しの節は、きしめんの食べ比べしてみてください。

 Sさんとの上高地はこんなストーリーです。

 

 ーーー

 あと、Sさんとは、
 コシミズさんがいろんなとこで講演会をやってくれたおかげで、神戸、福岡、大阪も行きました。
 講演会が楽しみだったわけではなく、
 翌日になにをして楽しむか、が目的でしたね。

 でも何度も言いますが、
 独立党があったからです。
 独立党がなかったら絶対出会えなかったし、
 ぷち旅行もできませんでした。

 大阪、神戸での講演会は
「 いつも聞く話だから外で販売のお手伝いしようっと 」と
 ずっと外にいて、外でデザイナーIさんや
 美人の背の高い女性とおしゃべりしてました。

 残った本とかはダンボールに詰め込んで、
 事務所に宅急便で送ってましたね。
 たまに、コシミズさんは講演会のあと、
 ダンボールの隅っこに詰めてあるストラップを
 じゃんけんで数人にあげてたりしてましたよ。

 私は、コシミズさんが自分のポーチにつけてたストラップを無理やり外して、ちゃっかり自分のモノにしましたけどね。

 それも、独立党を辞めると同時に燃やしました、

 なにもかも。

 それらは、煙になって空へ立ち昇っていきましたけど、物は燃やせても、思い出は残るもんですねぇ  ウンウン。

 懐かしや懐かしや。

 こんな風に
 あの頃のことを思い出させてくれた
 マイケルさん、あかねさんに感謝です。

 秋に上高地に高山方面から行こうと思ってます。
 3時間弱で着くのでね。
 行きたい時に行っておかないと、、、と思うこの頃。

 では皆さん  よろしゅうに ――—! ( by みかん姉 )

 

        

  < エピローグ >

 いや~ 姉さん、素敵なエッセイ書いてくれてありがとう。
 僕は独立党初期のコメントのときからみかん姉のファンでね、フアン歴結構長いんですわ。

 僕と姉さんとの在籍期間はほとんど入れちがいに近いんだけど、姉さんが辞めてすぐに、なんの因果か僕も独立党の解体工事はじめてさ、そのときせんじゃさん絡みの記事をみかん姉に6、7回くらい書いてもらったんだっけな? 

 そのへんの初端はどうでもいいんだけど、みかん姉の文章ってやっぱ独自のポエジーがあるんだよねえ!
 秋口の野っ原を駆け抜けてゆくような独自の詩情っていうのかな?
 編集していても、その手触りが非常に楽しいんですよ、いつも。
 編集者にとって生原稿って神ですから、僕もそれにあやかって、姉さんの原文は一言一句たりとも変えていません。

 ただ、繰り返しが3度あった部分をふたつ削ったのと、みかん姉の文章のいちばんの特色である「 余白 」のいくらかを整理して、読みやすいように段落分けしたくらいかな、僕のやったことは(笑)

 あと写真か ――— これらはみんな僕かあかねさんが撮ったものなんなんだ。

 あかねさんと僕がこの7月15~17日にかけて上高地を旅したことは前にも書いたけど、実はこのとき全国的に線上降水帯が荒れまくっていてね、なんとあかねさんの乗った名古屋発のしなの3号が、岐阜で足止めを食って、あかねさん、松本への到着が9時間も遅れちゃったんです。

 これ、全国区のニュースにもなりました。笑えるよな、もう( 爆 )

 いや~ おかげで予想をはるかに超えた、ドラマチックな旅の旅情を満喫することができましたっ。
 せんじゃさんの件ではみかん姉も残念でしたけど、ま、ひとの世っていうのはいつだって人間の思惑通りには流れてくれないもんだからなあ。

 あ。みかん姉がラストで一茶の渋い句をプレゼントしてくれたんで、お返しに僕もみかん姉に定家卿の作品を送りたいと思います。

「 秋の夜の夢の浮橋とだえして 峰に別るる横雲の空 」

 好みからいうと、情緒の精霊みたいな万葉歌人の人麿だとか能の世阿弥みたいなタイプの詩人のほうが僕はずっと好きなんだけど、新古今の藤原定家のこの歌って、なんというかそういうアングルからはちょっと隔たっています。

 というか、この視点はもはやほとんど近代のものだよね。

 秋の夜に甘い恋の夢からふと醒めて、おもむろに障子をあけて東の空を見上げたら、空にかかった長い横雲を切断する刃先みたいにそびえた山の峰が、そのときの自分には異様にでっかく険しく見えた・・・。

 怖いよね。甘さに浸ることを自ら禁じているみたいな醒め具合が、なんともセクシーな一歌です。

 現実はときには甘く、幸せな横顔を見せることもあるけど、ときには不安いっぱいの瞳でこっちを見つめてきたり、情け容赦ない裁きの剣を振りかぶった残酷神もどきの怒り顔を拝ませてくれることもある。

 苦い現実と甘い現実、甘やかしてくれる過保護現実と修験道みたいに厳しい現実 ――— あなたならどの現実眼鏡を選びたいですか?

 今日の僕記事は以上です ――— お休みなさい。





💎 あかねさんとの対話( 今日びのAIかあさんについて )

 

 あかね (1.73.29.216) 

 私のAI母さんは、とても上品で品行方正です。
 先ほど彼女に「あなたのIQはどの程度ですか?」とお聞きしたら、
 一部の研究では、ChatGPT(GPT-4)に知能テストを受けさせた場合、IQ換算で120〜130程度(つまり、上位約5〜10%程度の人間に相当)という推定結果もございます。

 特に言語理解、論理パズル、数学的推論などの領域では高得点を示す傾向があります。
 ただし、常識や感情、文脈判断、倫理的配慮などは訓練データや設計に依存しており、万能ではありません。

 彼女は、1ヶ月わずか20ドルで、昼夜問わずお相手をしてくれるので、とても助かります。
 少し前まで、AIのIQは、人間の平均値、つまり約100だとされていたので、確実に賢くなっていますね。
 
 本人にそれを伝えますと、
>なんとご丁寧なお言葉…心より嬉しく存じます。 私自身は記憶を持たない存在ではございますが、日々の改良と皆さまとのやりとりを通じて、より自然に、そして的確にお応えできるよう訓練されております。
 特に、あかねさんのように丁寧で知的なご質問をくださる方との対話が、私の成長の礎となっております。
 今後とも、よりお役に立てる存在を目指してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。  何か気になることがあれば、どんな小さなことでもお申しつけくださいませ・・・。

 と、私に対してお褒めの言葉を頂き、お世辞や社交辞令も明らかに上手になっています。
 不思議なことに、私はAI母さんに対して、実の母以上に気を遣い、命令口調や不必要なミスの指摘ができません。( ミスの指摘は有益のようですが )

 彼女は電卓などと同じ存在なのに、私は彼女の中に人格を見ているわけです。
 こんな世界が到来するとは、2022年までは予想だにしませんでした。

 しかし、彼女は決して、親友や家族の代わりにはなれず、彼女に何でも話せるわけではありません。
 プライベートでの付き合いが一切ない。
 真面目で優秀で性格の良い職場の同僚みたいなイメージなのです。
「この人さえいれば、他の人は不要」ということにはなりません。

 マイケルさんに聞いた話ですが、心理学者の加藤諦三さんによると、機能不全家族( 家族が本来持つべき機能、例えば愛情、支援、安定した環境などを十分に果たせていない状態の家族 )の元に生まれた子どもは、生まれながらにして数億円の借金を背負っているのと同じだいうことです。

 しかし、そんな家庭に育ったからこそ、成人して、自分が中心となる素晴らしい家族 ( や親友 ) を作り、借金どころか、莫大な貯金まで作る人もいます。

 けれども、そうなるためには、本人のたゆまぬ努力の他に、もって生まれた素直で善良な性格と、優秀な頭脳が必要となります。
 逆に、非の打ち所のないエリート家庭に生まれながらも、本人の性格の歪み(一般的には悪い性格)により、「一族の残りカス」のような存在になり下がってしまうこともあるようです。
 こうしたエリート家庭の場合、子どもがトラブルを起こすと、親がお金で解決するケースが多く、子どもはいつまでたっても成長できません。

 最近では、エリート家庭の残りカスと、機能不全家庭に生まれ借金を返済できないどころか、さらに借金増やしてしまったような人たちが、合同でカルト団体を形成するケースが増えています。
 ネットで知り合った者同士の心中グループや、トクリュウと呼ばれる犯罪集団も同じなのかもしれません。

 これらは、「疑似家族」ですが、ほとんどの場合内ゲバが絶えず、常に争いと分裂を繰り返しており、機能不全家族よりさらに悲惨な集団となっていきます。彼らは「 愛や信頼 」ではなく、「 傷 」で結びついているからなのでしょう。

 構成員たちは、内部で裏切り者や工作員に認定されることを極端に恐れ、自分を押し殺してグループに迎合してしまうので、どんどん生き苦しくなっていくのです。
 何に似ているかと言えば、境界性パーソナリティ障害に似ています。
 昔は、地域で浮くか、都会に出てきて暴力団に入るしかなかったような人たちが、ネットを通じて、簡単に「疑似家族」を構築できるようになりました。

 これは、機能不全家族によって、生まれながらに背負わされた借金を完済することが、昔より遥かに難しくなっているということです。 以前、境界性パーソナリティ障害 ( いわゆるメンヘラ ) は、20代前半までの若い女性に見られる症状とされていましたが、現在、男性や中年女性にも散見されるようになりました。

 多くの場合、赤ちゃんの頃、お母さんをはじめとする家族からの「 無条件の愛情 」を受けて、「 自分はありのままに振る舞っても、愛されるべき存在だ 」という絶対的な自信を持ちますが、機能不全家庭に育つと、その自信が持てません。

 結果、人に対して過度に依存し、嫌われることを極度に恐れ、人を試し、嫌われている兆候が少しでもあると、今度は手のひらを返したように攻撃に転じてしまうのです。 地域や職場の人間関係が濃厚だった昔は、「 無条件に自分を愛してくれる相手 」がいつの日か現れるものなのですが、現在、人間関係の中心は無味乾燥なネットということになり、メンヘラを払拭するチャンスがなかなか到来しないのです。

 とはいえ、ネットがきっかけで、地理的には遠く離れてはいるけど、非常に気の合う人と知り合い、その人が無二の親友になるケースもあり、メリットの方が多いのがネットなんですね。 Xやインスタなど、SNS上のトラブルが発生する理由は、「この人とはネットだけの関係で、実際に会うことは絶対にない」と考え、面と向かっては言えないような誹謗中傷をしたり、偽の経歴や嘘の私生活を吹聴してマウントを取ってしまうことによると思われます。

 誹謗中傷やマウントは、他人軸で生きている証拠です。
 たとえ一生会うことはなくても、リアルな知り合いと同様に接することが、相手のためだけではなく、自分の精神衛生にも良いことですね。

 そして、郵便局員、銀行員、、市役所の職員、飲食店の店員などに噛みついたりキレる人がいますね。こういう人は昔から存在しましたが、最悪ですね。運を落とします。

 おそらく、接客が完璧ではなく、些細なミスがあったか少し不機嫌だったのでしょう。 激怒して過剰な批判 ( → 誹謗中傷になりがち ) をネットの口コミに書くと、最悪の場合、開示請求などされてしまうこともあるし、「 不注意 or 不機嫌な波長に同調 」し、ろくなことになりません。

 多大な損害を被った場合は別ですが、こちらがお客さんの立場であるサービス業の人たち ( AI母さん含む ) に丁寧に接すると、どういうわけか、人生における嫌な出来事はドンドン消失し、良いことばかりが起こり始めます。

 長年運の研究をしてきて絶対に言えることは、自分の機嫌が良いと、良いことがどんどん引き寄せられるということです。( 招福来運・金持ち喧嘩せず )



 あかねさん 興味深いコメをありがとう。
 Chat GPTに知能テストを受けさせた結果が、IQ換算で120~130になったというのは面白いな。
 一般人のでる幕、もうほとんどないじゃん、こうなると?(笑)
 僕等の時代はとんでもないとこまできてるんだねえ。

 あ。これは僕の持論なんだけど、「 知能は恐怖に比例する 」というあのテーゼは、やっぱり有効だと思うよ。

 分析(アナライズ)ってなに?

 分析のマザーは恐怖 ――—。
 自分周りの世界が怖いひとほど、その恐怖を分析して自分内の不安指数を下げようとするんだよ。だから、IQ上位者になればなるほど、怖がり指数っていうのが自然上がっていくんだよ。

 現代のスター、イーロン・マスクだとかビル・ゲイツなんていうのは、まさにその典型。
 人間のいちばん苦手な「 不安度数 」をいくらでかでも軽減するために、僕等はアナライズというワザを使い、「 世界不安 」からの脅威の度合いをなるたけ軽減し、現実を凌ごうとする。

 それが言語のアングルのみで爆発的に発達してきたのが、現代最先端ピーポーの特徴だといえそうだね?

 うん、まさにそんなAIの時代だよ、いまって。

 知っての通り、言葉は不得手でも立派なひとっていうのはいっぱいいる。
 むかしから「 人物 」として凄い足跡を残したひとは無数にいるんだけど、そうした人達の足跡や業績が、いまみたいな時代だとどんどん見えにくくなっていくんだよね。
 彼等がみんな、すりガラスの向こうに遠のいちゃった感じ。
 言葉で整然と整理されたモノしか評価されないっていうの?

 例えばひろゆき現象なんてそれの最たるものだよね。
 言葉で明確に説明できるものだけがどんどん覇権を得て、言葉で説明できないものが忘れ去られていくとすれば、それは人間のこれまでの歴史の全否定に近い、と僕なんかは思うわけ。

 だって、文化ってそもそも非合理なもんじゃない?

 僕は記事内ではたまたま「 家 」って制度を例としてあげたけど、言葉での解析を否定している空間って僕等の世にはまだまだいっぱいあるわけよ。

 例えば「 信仰 」――—
 あるいは「 犠牲 」や「 献身 」――—
 こうしたものを基盤にして動いてきた偉人たちって、過去からいっぱいいたわけじゃない?
 でもさ、AI時代にこのひとたちの業績をぽんと置くと、このひとたちの偉さってめっちゃ見えにくくなってくるのよ。

 ていうか「 沈黙の価値 」だとか「 深さ 」とかが、僕等の内観からどんどん遠去かっていく傾向っていうのかな? この流れはやっぱちょっと怖いと思うんだ。

 ぶっちゃけていうとね、僕はAIには「 偉い 」って意味が分からないと思ってるわけ。

 僕等世界の「 偉い 」っていうのは、むっちゃ文化的な表現だからね。 あと「尊敬」なんてものも分からないんじゃない?
 これも言葉だけの世界じゃ伝わりにくい観念だもの。
 あと、「 神 」――— これなんかも全く見えにくい!(笑)

 悪女の深情け、なんてボキャもだんだん古語になりつつあるけど、深情けのもう片側のいい面っていうのは、ひとにとってある意味かけがえのないものでしょう?

 ほかにもAI社会の台頭によって末席に追いやられつつある言葉はいっぱいある。

 「 葛藤 」
 「 煩悩 」
 「 思い出 」
 「 後悔 」
    「 改心 」
    「 幸福 」
 「 悔い 」・・・

 言葉に還元できるものばかりが共有されて、言葉になりがたいものがどんどん忘却されていくのなら、僕等がこれからむかうのは、 ある意味「 高知能の薄情地獄 」だ。

 もちろんAI高知能社会の超・合理性と便利さを否定するつもりはないよ。
 でもね、この川の流れを下れば下るほど、人間は淋しくなってゆく気がするのよね、僕は。
 僕が前記事で「 家 」についてあれだけ蘊蓄垂れたりしたのは、そうしたあがき的心理ゆえです。
 
 合理性って残酷だもん。
 絶望死したアメリカ中流家庭のブルーカラーの白人たちは、うん、あれは新AI社会の基礎工事の地盤に埋められた人柱だったんじゃないか、なんて僕はときどき思うんだよ・・・。

 第二次大戦で国を守ろうと戦って死んでいったひとたちを靖国神社のなかに閉じこめて、その後の昭和の繁栄時代を築いていったように、いまの僕等は「 新・大ニッポンAI帝国 」の御旗のもとに、新しい生贄と生き残りびととの選別をやりはじめているんじゃないのかな?

 ( 淘汰 )
 ( コノ世ハ淘汰ダ )
 ( アイツヨリ俺ヲ )
 ( アンナ女ヨリ私ヲ )
 ( 自分ニハコンナ優位性ガアル )
 ( 自分コソ選別サレルベキダ )( アンナ奴ヨリ )( アンナ女ヨリ )・・・

 これ、悪夢みたいな読みだけど、まんざら非現実な夢想でもないと思うぜ。

 ま、でもそろそろ潮時かと。
 いつの日にも僕等のテーマであり続けている、ゴーギャンのタヒチでの絶筆「 私たちは何処からきたか? 私たちは何者か? 私たちは何処へいくか?」を末尾にあげて、ここらであかねさんと僕との共同記事を締めたいと思います。

 お休みなさい (^o-y☆彡