< ザ・マイケルブログ!>

はじめまして! goo からやってきたマイケルと申します。よろしくです。

🍊 みかん姉昔語り ( みかんとせんじゃの縁 —えにし— の物語 )






     < 前口上 >

 僕、みかん姉とはRK独立党を通して知りあいました。
 といっても、えっ、RK独立党って一体なんなのさ? といったひとが大多数でしょうから、こ~んな前解説なんかがやっぱり要り用なんです。

 無粋でゴメン! と引き下がりたいとこですけど、それをやると話が見えなくなるんで、そのへんはどうかご容赦願います。

 え~とね、RK独立党っていうのは、2009年あたりからネットで大ブームになった、ま、陰謀論ブームの火つけ役みたいな団体だったんですわ。
 党首にはリチャード・コシミズというキテレツ親父が座ってて、彼の門下からは国民主権党の平塚正幸( さゆふら )とか Qmap Japan のエリ( よかとよ )とかがでてたんだ。
 
 どっちとも、もうだいぶ前にいなくなっちゃったけど(笑)

 みかん姉と僕はともにその団体に所属しててさ、ただ、みかん姉と僕とはほとんど入れちがいであって、僕が入ってすぐにみかん姉は辞めてるの。
 で、その僕も2017.4.2.に仲間と反乱起こして、リチャード潰しに走ったといういきさつだったんだけど・・・

 そのころのD党にはユニークな人材が結構いて、せんじゃさんっていうのはそういう最右翼的キャラのひとりだったのよ。
 当時の彼女のHNの名乗りは、なんと < jewjew鮮邪er >!
 字ヅラも響きもヤバイっしょ、このHNは?
 いま時期だったら即アウトですよ、こーゆーのは。

 彼女ってスゲー変わってて、性別は女性なのに、絶対にスカートとか履かないひとなんだよ、これが。
 会ったことのない奴はせんじゃさんのこと、みんな野郎だって思ってたもん。
 でも、むりないのよ ――— ネツト書きこみに使う主語はいつも俺だし、 
 いまでいうLGBTみたいな部分があったのかもね。
 いつか飛行機で九州から上京してきたことがあるんだけど、そのときの服装は完全な農作業着だった。

 下は長靴、で、その身体にまとっているのは、よくトラクターに乗ってるおっちゃんなんが着ているような、上下がひとつながりになった、ぶ厚いツナギみたいな作業服。
 まるで農作業の帰りに、たまたま東京に寄ってみました、みたいないでたちなわけ。
 それでもって九州からはるばる airplane に乗ってきたんだもん ――— やっぱ凄えよ、そのへんは。

 あと彼女、内輪には任侠みたいに礼儀正しいくせに、外様には超・辛いんだよね。
 その発言は、ほとんどが罵言というかシャウト。
 というか、もうパンクですよ、ありゃあ。
 そのくせ、あんなリチャードさんに心酔しきっててさ、「 不肖、わたくしセンジャーは、リチャードコシミズの特攻隊長をやらせていただいております! 」みたいなノリだったんだよ、彼女って。

 ただね、そんな凶暴なせんじゃさんなんだけど、ときどきその罵言の隙間からひょいとのぞく素顔の印象が、なんかむちゃくちゃにピュアなのよ。

 僕がリチャード戦争を仕掛けた初期のころ、まだD党に在籍してた当時の彼女に手紙を送ったことがあったんだけど、そのときの彼女の返信内容ときたら、

 おまえの字は汚すぎる ――— 字が汚い男は中身まで汚いから信用できない!

 なんて極辛なもので、字に自信のない僕はそこを突かれて、ちょっとばかしショゲちゃったんだけど、それと同時に僕はこうも思ったの。

 あれ? このひとってひょっとして・・・ヤバイくらいに純なんじゃね?

 でも、そんなせんじゃさんもリチャコシから切られちゃったんだよね。
 だけど、むりないよ ――— リチャードさんって元々やらせてくれる女にしか興味がない薄情なひとだもん。

 で、それからせんじゃさんは意気消沈して、僕等のまえから消えちゃったわけ。
 せんじゃさんといちばん仲のよかったみかん姉とは、その後もときどき電話しあったりして、そのみかん話を通じて、その後のせんじゃさんの噂だとかはいろいろと知ってはいたんだけど、独立党自体が霧散してどっかに行っちゃってたし、僕のほうでも関心が独立党残党からの集団訴訟やら、その訴訟中に石垣陽介裁判官が判決書内に残した108つの誤記だとか裁判調書の改竄問題やらに移っていくと、自然とみかん姉との距離もだんだん遠のいていった。

 で、2021-2-1に僕が書いた

 という記事を最後に、僕とみかん姉の縁は切れた。
 僕は独立党とともにみかん姉のことを忘れ、さらにはせんじゃさんのことも徐々に忘れて行った。

 そんなとき、今年の5月26日に、ふいにみかん姉から電話があったんだ。
 これにはちょっとびっくりしたね ――― だって、3年か4年ぶりくらいの電話だぜ !  でも、話しはじめると、あらら、流れるように話がずんずん進むんだな、これが。

 そのときにみかん姉が話してくれたせんじゃ譚というのは、次のようなものでした。
 というわけでお待たせしました ――― 今日のメインゲストであるみかん姉さんにいよいよ登場してもらいましょう!

 さあ、みかん姉、マイクはこっちだよ・・・!
 

ふと

マイケルさんのことを思い出し、

【マイケルブログ】を探しました。

 

過ぎ去った昔なのだけど

霧がサーーっと晴れて、遠い山並みがみえるような

清々しさを感じました。

 

宮崎の鮮邪 (せんじゃ) とは

時々電話していたのだけど、

1年ほど前、「現在使われておりません」とアナウンスが流れ、家の固定電話も通じず心配になってました。

 

せんじゃの家は、宮崎県の山の中。光も通じておりません。せんじゃは若い時、大阪で営業の仕事をしてたらしいです。スーツにネクタイをピシッと絞め、革靴で仕事先回りをしてた。せんじゃによると

「俺さ、こう見えてもモテてさ。彼女何人もいたんだよ、デヘッ」と笑って言ってました。

そうだろうな、モテたと思う。優しいもん。

女は男らしさというのはあまり求めません

( 人によりますが )。

それよりも優しい人が好き→参考にしてください  笑

 

宮崎の両親とは時々連絡してたらしく、父親が倒れたというのを聞き、せんじゃは大阪の仕事を辞め、

宮崎の木こりになろうと故郷に帰った。そこから福島正信さんの自然農法を畑でやり始めたわけです。

 

せんじゃから聞いた話だけど、

子供の時、スカートをはくのが嫌で、弟の半ズボンを5円で貸してくれと言い、それを履いてたとか。

中学校で嫌で嫌でたまらなかったのは、セーラー服。

苦痛の3年間だったようです。

 

40代で宮崎に帰り、そうこうしてたら父親が亡くなり、母ちゃんとの2人暮らし。畑・田んぼを耕し、母ちゃんの代わりに山に入って枝を払ったり、トラクターを運転したりと男並みの仕事をしてたようです。

 

母ちゃんはいつもせんじゃに付き添ってました。

コシミズさんの講演も毎回一緒に参加。軽の助手席に母ちゃんを乗っけて、後ろの席には買ったばかりのコシミズさんの本やCDをどっさり積んで。何冊も何枚も買ったのは、コシミズさんに協力したいという気持ちだったようです。

 

そんなせんじゃと連絡が取れなくなった。

はて、なんかあったんだろうか、、

どうすればいいだろう、、と考え、

〇〇町の自治会連合会にダメもとで電話しました。

 

「これこれこういうわけで、まったく連絡できなくなったのですが、地元の自治会長さんに聞いてもらえませんか?」と。

 

とてもお優しい方でね。

「 それはご心配ですね。地元に連絡して聞いてみますね 」

 

翌々日、その人から電話ありました。

「 地元に聞いてみましたらね、せんじゃさんのお近くにお知り合いの方がおられて、ご健在だそうですよ。住所が分かるならお手紙出されたらどうですか?」と言ってくれました。

 

「 あ! そうですね! それはいい方法ですね。ありがとうございました 」

と。その日の夕方に間に合うよう、ハガキを出しました。

ハガキには

「 せんじゃ! 電話をしても全然つながらん! こっちに電話して欲しい、みかんより 」とでっかい字で書いて

ポスト入れました。

心で「 どうか届きますように 」とお願いしましたよ。

 

3日後、せんじゃから電話ありました。番号が違ったのでちょっと警戒しながら出たらせんじゃでした。

 

「 姉ちゃんのハガキ、びっくりしたよーー。ありがとな。番号変わったんだよ。実はさ、俺んちの畑や田んぼ、大雨とか日照りでダメになっちゃってさ。生活できなくなっちゃって、、市役所に何度も何度も出向いて、生活保護の申請してたんだ。10ヶ月かかったんだよ。こっちはお金ないしさ、山を安ーーく売って10ヶ月耐えたんだよ。やっと認定されてさ、今は犬と猫となんとか暮らしてる 」

 

あー

そうだったんだ

涙がホロリと出そうになりました。親の面倒を見るために仕事辞めて故郷へ帰り、親の代わりに畑・田んぼ・山のこともやり、父親を見送り、母ちゃんをギリギリまで在宅で面倒をみて、施設が空いたから入ってもらい、母ちゃんを亡くし、弟も亡くなり、実の姉とは絶縁。

せんじゃには犬と猫しかいなくなりました。

 

「 でもな、なんとか元気だよ、ガハハ 」

と笑ってました。

 

ところが、また3ヶ月前から電話出ないのです。

 

数日前、久しぶりにマイケルさんの声を聞き、

せんじゃを探す気になれました。

マイケルさんがそっと背中を押してくれたようで。

 

月曜日にハガキ出しました。水曜日には着いてるはず。

でもなにもない、ということは、あの家にいないのかも、、、


福祉事務所に電話してみました。
検索しましたが、本人様のお名前はありませんとのこと。

自治会連合会に電話してみました。
2回目なのでちょっと申し訳ないと思いましたが
「 一応地元に連絡してみます 」
と言ってくれましたが、

「 ( そんなに )気になるならおうちに見に行かれたらどうですか?」と言われました。

岐阜から宮崎へ飛行機で行き、
レンタカーで宮崎空港から1時間以上。
一生懸命行って、家にいなかったら虚しくなる、、

なんか無理っぽいなぁと思いました。
連合会の人は
「 電話したくない理由があるんじゃないですか?」とも、、
要は、係わりを持ちたくないということを遠回しに言われました。
ちょっと落ち込みました( ´  ._.  ` )

 

おーーーーい

せんじゃ!

どっかで聞いてる?

私の声を。

心配させないでよねー

ガハハ

がまた聞きたいなぁ

 

以下

続きます ――—。

( by  みかん姉 )


 うわ~っ、そんなことになってたんだぁ~、と僕も聴いてびっくりしましたね。

 おいおい、せんじゃさん、大丈夫かよ・・・?

 僕は、みかん姉ほど、せんじゃさんのことはよく知らないんですよ。
 2016年の師走の2日、新橋で、たった1度会っただけのひとだもん。

 でもさ、せんじゃさんがディフェンスを一切しない、ピストン堀口タイプのボクサーだってことくらいは感知できる。
 ボクサー世界には「 嫌ダウン 」ってコトバがあるんですよ。
 ストロングすぎるパンチをもった選手と当たって、もう死ぬってくらいのピンチに陥った場合、いちばん安全なディフェンスは、相手からもっと強烈な連打を喰らうまえに、自分からダウンしちゃうこと。

 それが「 嫌ダウン 」―――。
 それほどのダメージじゃなくても、倒れちゃえば相手はもうこっちをそれ以上攻撃できないから。
 それは相手からのパンチをこれ以上喰わないための、最上の方法なんだよね。
 もちろん試合には負ける。
 だけど、そうすれば自分は大怪我をしないで、このピンチから無事に逃げきることができる・・・

 どんな世界にも業界にも「 嫌ダウン 」ってものはある。

 せんじゃさん、それ、しなかったんじゃないかなあ・・・?

 こんな破産みたいな状態に陥るまえに、まだ傷が浅いうちに農家をたたむとか、有機じゃない農薬使用の農業に切りかえるとか、そういった逃げ道はきっと何本かあったと思うんだ。

 でも、せんじゃさんはその道を選ばなかった。

 ピュアすぎ。純すぎ。アホすぎだよ、そんなのは!
 でも、僕はそうしたせんじゃさんを笑えない。
 そんな土壇場においてもガハハと笑えるなんて凄い、と思う。

 せんじゃさんとの復縁がかなうといいね、みかん姉?
 そんなピュア星人であるみかん姉とせんじゃさんのお2人に、この記事を捧げたいと思います。
 今日の僕記事は以上です ――― お休みなさい (^0-y☆ミ
 
 






 



 

💎 もう片側のニッポン ( 壊れゆく瑞穂の国のための幸福論 )


 
Hello、皆さん ――— マイケルです。
 これ、goo からはてなさんに越してから初めてあげる記事なんだけど、結果的に前記事からなんと3か月もあいちゃいました。

 いや、もう去年の10月の腎盂癌のオペでつっかかっちゃって、それ、ちょうどネットで兵庫県問題とかがかしましくなってた時期だったんですよ。
 それまでもフジTVの中居クン問題とかが発覚して、うひゃ~、こらエライことになったわ~とか思っていたんだけど、僕ぁ癌でしょ?

 明日の命も知れず、ひとりぽつねんとベッドのなか、転移があるかもしれないし、だいたいスタスタと普通に歩くことすらやれないわけですよ。
 仕事にもどれるかどうかも微妙だったし、つまり生活の優先順位のつけかたが全然変わっちゃった!

 さらには goo ブログが廃止するなんて知らせまで流れてきた。
 結構有名な雑誌が次々と潰れ、オレンジ色の凄いやつ・夕刊フジもなくなり、僕の地元の本屋までとうとう潰れちゃったんだけど、肌で味わう文字媒体の衰退ぶりが噂以上にヤバすぎるの。

 は、早う引っ越しせねば、と焦りましたよ、やっぱ。

 こういうときって世相の表で活躍してるひとだけじゃなくて、そのすぐ裏手で彼を支えてたひとたちまで団子状に潰れていくんですねえ。半年とちょっとしかない、こんな短いあいだに  (;´∀`)

 ありていにいって「 ネットどころじゃない!」
 そんなこんなで日々あくせくしてるあいだに、かようなまでに月日が経っちゃったという次第。
 僕ブログを見てくれてたひとや心配してくれた方々には、この場を借りて衷心からのお礼を申しあげたい ――— 皆さん、ホントにすまんでした、あとサンキューねっ!

 というわけで、では今日記事のテーマである「 いまニッポンの大混迷 」についていよいよ語りはじめましょうか ――—

 あ。この上写真は、東洋経済さんの記事から引っぱってきた60年前の Tokyo なんだけど、もうなんちゅうかめっちゃアジアしてて、いまのニッポンとはちょっと継ぎ穂が見つけられないような気すら僕はするんだけど、皆さんはどうかね?

 思えば遠くにきたもんだってやつ?
 この旧型のクルマの大群には、エアコンなんて洒落たモンはないのよ。
 こんな渋滞ならどのクルマ内も当然究極のサウナ状態。
 排気ガスの規制なんかもまだなかった時代だから、有害物質の微粒子連隊が焼けたアスファルト上を踊り狂い、カメラレンズにむかって次々と跳ねてくるのが目に見えるようじゃないですか?

 まだ野蛮さがほの見えるニッポンの上り坂「 高度経済成長期 」のきざはしだったんだけどね、この頃は。
 親父の休みは週に1度の日曜だけで、週休2日なんて夢のまた夢だった。
 それでもたまの休みには、会社のクルマで家族を軽井沢に連れていってくれたりね、いま思うと楽しかったな。
 ただ、そういった好景気と一緒に、未来の影のように忍びよってきたものもある。
 水俣病とかイタイイタイ病とか四日市ゼンソクだとかのネガたちですよ。

 そのほかにも未来への危機感を募らせるサリドマイド事件なんていうのもあった。
 当時の睡眠薬を常用していた妊婦さんの一部から、奇形の子らが生まれてきちゃったんだよね。
 あれには幼な心にゾッとしたのを覚えてる。
 ただ、いまみたいに毎日の報道で新しい殺人事件が次々と紹介される、なんてことはなかったな。殺人はいまにくらべるとはるかに少なかった。
 毎朝の茶の間にはアメリカでやってるベトナム戦争の現場映像がいつも流れていたんだけど、国に勢いがあるときというのは凄いもんで、全体的にふわーっとした、でも案外たくましい楽観主義が流れていたんだよ。

 この頃の僕はまだ物心もついてなかったんで、Coolな判断なんて当然下しようがない。ただ、あえて僕の幼児アイに発言権を与えてもらえるなら、うん、大らかで、ザッパで、全体的に希望があって、まわりのひとも優しい、うん、いい時代だった、と証言したいね。

 この頃にはPCなんてなかった。
 当然、ネットや携帯なんて未来の必需道具もない。
 アマゾンの通買ルートもないし、徒歩2分でいけるコンビニもない。
 パスモもなければ、FAXも、ビットコインも、カップラーメンもない。
 流行を撒くのはラシオとTVと雑誌とレコードだけというアナログ世界。
 個人電話なんてそもそも存在しないから、夜半に彼女と話せるのは家族が聴き耳をたてている家電話だけ・・・

 こと便利さというアングルから審判するかぎり、僕等の「 いま 」のほうが当時にくらべて圧倒的、ワンサイドにリードしていることは確実だ。
 でもさ、こうした文明と科学の利器に囲まれたいまの僕等の時代が、60年前のこの時代にくらべて、進化したいい時代になった ――— といいきることが、僕にはどうしてもできないのよ。

 なんでだろうね? 
 いいきろうとして、どうにもいいきれないものがある。
 強引にいいきるつもりならやれないこともないんだけど、それをどうしてもやらせまいとする突っかかりみたいな頑固なものが、僕内にあるのよ。
 恐らくはそれ ――— 1857年(安生4年)の幕末の世に、欧米代表としてはじめて江戸入りを果たしたときのハリスの言葉だ。


――— 彼等はほどよく太り、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。

 ただ、わたしは時として日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々を本当に幸福にするのかどうか、疑わしく思ってしまう。
 わたしは、「 質素と正直の黄金時代 」を、いずれのほかの国におけるよりも多く日本のうちに見出すのだ。
 生命と財産の安定、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる・・・。( タウンゼント・ハリス )
 
 これ、ニッポンについて語ったあらゆる外国人の言葉のなかで、僕が聴いてもっとも嬉しかった言葉のひとつなんだ。
 このハリスさんの言葉は、日本の本質に対する最上の賛辞じゃないか、といまでも思ってる。

 東のエデン―――
 財産の凸凹によるヒト価値相場はいまみたいに行きわたっていない。
 ニッポンがまだそんなエデン
であったころ ―――
 こういうと亡くなってしまった杉浦日向子さんなんかをつい思い出したりもしちゃうんだけど・・・
        

 このハリスさんは合衆国の外交官であって、当時日本に一番乗りしていたオランダ組とはまたちがう派閥だったんだけど、そちら先発組のなかでもハリスさんみたいなナイーヴな目線で日本人を見ていたひとって結構多かったみたいなんだ。

 なんで? 紙と木でできたあんな質素な家屋の一間に家族で住んで、財産ときたら古鍋と蒲団ぐらいしかないくせに、日本人はみんないつも笑っているぞって。

 幕末の19世紀ってちょうど植民地全盛のころじゃないですか?
 英国が清を乗っとるためにあの阿片戦争をしかけたのは、これのほんの17年前の話だよ。
 そのような弱肉強食な鬼の時代に、鎖国中のニッポンくんだりまで派遣されたエリート中のエリートが、母国の狡猾で浅ましい地政学の思惑から自由でいれるはずもない。
 彼にしたって、その使命はむろん米国に有利な通商条約の締結です。
 下田に駐屯中の英仏の連合艦隊の、武力にものをいわせたむりくりの開港でなく、戦争をはさむことなく、あくまで平和裡に幕府や朝廷に日米通商条約を結ばせること。
 
 ハリスさんはそのへんの方法論もちゃんと弁えているし、自分がその使命を果たせる器であることもたぶん知っている。
 だけど、そんな彼がさ、こんなことをひょいと呟いてみたりもするのよ。
 
――—・・・ただ、わたしは時として日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々を本当に幸福にするのかどうか、疑わしく思ってしまう。

 ここだよね、ここ!
 ここでハリスさん、明らかによろめいてるじゃないの。
 超・優秀な彼が、自らがいままさに実行しようとしてる「 世界覇権レッツゴープロジェクト 」に対して、ほのかな異議を表明した稀な瞬間とでもいうのかな。
 でも、まだまだこんなんじゃ終らない、ハリス言論はさらにぐんぐん高みに駆けのぼっていって、
 
――—・・・わたしは、「 質素と正直の黄金時代 」を、いずれのほかの国におけるよりも多く日本のうちに見出すのだ。

 ヤバッ
、なんと「 質素と正直の黄金時代 」ですぜ!
 口調こそピューリタンらしくもの静かだけど
、言葉の内容はこらシャウトだね。
 ここまでくると、応援や共感の矩はとっくに踏み超えてる。
 うん、これ、熱烈すぎる賛美でしょ。
 いずれのほかの国という表現には、彼の母国である合衆国も含まれてるっぽいよ、これは。彼の日本赴任の時期はちょうどアメリカの南北戦争まっ盛りという国難期にあたっていたから、それに対する憂いと怒りの分とが、この日本礼賛文にいくらかは加算されているのかもしれないけど。

 ただ、彼がこれをマジでいってるのか、おべんちゃらテクでもって流し書いているのかの区分は、誰にでも容易につけられそう。

 Yes、超マジだよ ――— この熱量は。

 しかも、これ・・・ド直球の幸福論じゃないですか。

 僕はさ、幸福ってコトバの住める生息域は、あんがい限定的なんじゃないか、と思ってるひとなのよ。
 幸福ってもともと個人的なものだし、とりわけ内面的なものだからねえ。
 俗世でいちばんこのコトバが往来しているのは、宗教枠か、もしくは詩かファンタジーみたいな、ある意味現実の表通りから外れた裏路地界隈なんじゃないのかな?

 ふわふわ裏路地しあわせロード、なんちゃって(笑)  

 少なくとも生き馬の目を抜くような、冷徹非情な国際政治の最前線で、社会的な公益と具体的に結びついていない、この種のユートピアチックな個々人の夢想が、その
他多くの政治問題とおなじレベルで検討されることは、おしなべてないといっていい。
 政治の世界ってのは、がちがちのリアリズムなんだから。
 政治が干渉できるのは、あくまでひとの肉体の外側 ――— せいぜいいって皮膚の表面までだ。

 それのいちばん分かりやすい症例が、現代社会における性犯罪者の扱いかな。
 なに、女を殺して喰っただってえ! 神( 注:日本ならここお上ね )をも恐れぬ行為だ。はい、問答無用で火炙りね ーーー で済んだのが、いままでの牧歌的な世界基準だったわけ。

 だけど、ニーチェが神を殺してから広まった、現代の科学社会ではこのあたりどうなったの? 殺人者にも生きる権利はある、彼がそのとき責任能力のある正常な状態だったか、責任能力のない心神喪失の状態であったかが問題だ、なあんてね。

 で、複数の精神科医、弁護士、検事に裁判官らがわさわさとやってきて、素人には意味の伝わりにくい、特殊な日本語でケンケンガクガクと長~い論争をはじめる。
 最初は興味深そうにこれらの推移を見守っていたマスコミが、まず飽きてこの論争を見限り、次に離れるのが野次馬連中、そして最後に離れるのはこの大元事件の被害者の関係者たちだ。

 そうやって誰もがこの事件そのものを忘れはじめたころ、やっとのこと事件の判決が下る。

ーーー 被告の事件は心神喪失時に行われたものと解され、それゆえに無罪、とか、

ーーー 被告は懲役5年、ただし2年の執行猶予を付すものとする、とかね( 苦笑 )

 もう、ハァーッ? の世界だよ。
 納得できる人間なんかどこにもいない、ひたすら不条理な結論に世はざわざわと波立つばかり。あまりに異次元すぎる無機的なお言葉って、僕等の感情にほとんど訴えかけてこないんだよ・・・

 で、ここまでが政治の限界なんだ。
 政治の担当は、あくまで現実世界の交通整理。
 横断歩道をはみだして歩く行為を取り締まるのが本分なんであって、実際にはみだして歩いたその個人がどんな人間であって、その内部でどんな信念を抱いているかは一切頓着しない。

 僕等の暮らす民主主義社会においては、邪悪な心をもつことは罪じゃないんだ。
 その邪悪の心の情動のままに動いて、現実に邪悪な行動に移したところで、はじめてそれはいっちょまえの罪になる。
 
 この安全弁たる堅固な国境線が崩れて、個々の内面、思想までが取り締まりの整理対象になると、その社会はたちまち地獄絵図になる。中国の紅衛兵だとか文革朝鮮戦争当時のアメリカの赤狩りだとかがいいサンプルだよね。
 これのもっとも極悪な例が、ヨーロッパ・カトリックが沈んでいった、あの暗黒の中世だ。
 日本流により分かりやすくいうなら、中世カトリックで壮大にやっていた、あの「 異端審問 」だとか「 魔女狩り 」だとかの歴史的
愚挙がいっぱいあったじゃない?
 
  あれって、通常よりいくらか深堀り目線で見てみると、ちょっとまえの日本の2チャンネルそのものなんだよね。
 似てるのは状況じゃなくて構造のほう、構造自体が似てるのよ。
 いまでいうとSNSでの誹謗中傷問題なんかが、これに当たるかも。
    体制が殺しに加担こそしちゃいないが、匿名の不特定な群衆が、悪意の祭壇に次々と犠牲の生け贄を捧げていくわけでしょう?  悪魔礼賛のサバトみたいにさ。

 カオナシの大軍団がちょっと有名な誰かさんを吊るしあげて、その折々の罪状にはいかにもそれっぽい理由がいつも付与されてはいるんだけど、僕はそれらの理由に納得できたことが1度もない。

 もちろん彼等はいいますわ ――— これは世直しなんだ、とか、法律の届かないところにいる奴等にむけての正義の鉄槌なんだ、とかさまざまね。
 でも、独立党からの集団訴訟を7年間受けつづけた僕からすると、そのような動機はみ~んなええ格好しいのうそに見えるわけ。
 人間は、たかが法律違反などという無味乾燥な動機じゃ、これだけの規模の数は絶対集まらない。人倫違反だからやるんだ、というひともいるけど、この上品絡めの動機づけにしても、うその背伸びを僕は感じるな。

 真相はもそっと下賤なアングル寄りだ ――― これって、たぶん快楽なんだよ --- 純粋な快楽 ――— 楽しいからやる、感じるからやる、下半身までぐきゅっ! と痺れるからこそやるんだよ。

 いわば不幸のエクスタシーだわな。
 コミュニケーション回路の断線したひとたちがコミュの代理に求めた、三途の川のこっち岸ぎりぎり領域で催される盆祭りみたいなものかしら?

 生きづらい世間との苦い関係を、ここまで引っぱってなんとか頑張ってきたけど、いいことはひとつもなかった。自分は自分自身が嫌いだし、自分をこんな場所まで追いこんだ世界のことを怨んでもいる。ズルしてうまくやってる奴を見ると腹が立つ。幸福のにおいをさせてる奴等はみんな呪われろ、だ。明日にでも滅びればいい、自分を見下すばかりなこんな傲慢な牢獄世界は。ああ、この世界を荒廃させるためなら、自分はテロだろうが無差別殺人だろうが、なんだってやってやる・・・

 心がくちゃくちゃに折れた、捨て鉢なリベンジ絶望者が、これほど寄り集まって動く時代っていうのは、かつてなかったんじゃないか? 連中の誹謗中傷はほとんど悲鳴に近いんだけど、肝心なのは連中の体現するこうした闇のエロスの快楽蠕動のほうが、いま世界のほとんどの枠組より強くて浸透性があるってことだ。
 
 こうして彼等の私的なリンチの輪は日々世界中に拡散されてゆき、いまだ僕もそれを完全否定できないままでいる。なぜなら自分内にもそういった闇要素がいくらかあることを感じているから。あんまり認めたくはないけど、もうこれは認めるしかないわ。

 歴史の黎明期から、たぶん僕等は、群れのなかでやるこういった淫靡なレクリェーションが大好きなんだ。

 人間の精神世界っていうのは、それくらいダークで厄介な場所なんだ、と僕は確信してる。
 そら、神々しい光への憧れやら垣根のない愛やら、そういった気高いものを志向する部分もたしかにあるよ。でも、それとは逆のマイナス志向の、妬み、ヘイト、いじめ、差別、裏切り、密告なんかに流れやすい傾向がそれより多数派で勢いがあったことは、これまでの歴史が証明してる。

 ま、いうなれば闇鍋だよ。宝石もムカデも砒素も十字架も、あらゆる具材を全部いっしょくたに放りこんで、トロトロになるまで煮込んでしまう、残酷で根性曲がりな闇鍋 ーーー
 もう魔界ですよ、こんなのは。
 シェークスピアの「 マクベス 」に出てくる魔女も、そういえば愛用の鉄鍋をかきまぜながらこんな風に歌ってたっけ。

――— 綺麗は穢い、穢いは綺麗・・・

 この呪文はウザすぎるぜ。 
 理想と殺戮が同居するあらゆる紛争の底には、いつでもバロック音楽通奏低音のように、魔女のこの呪文がひそかに鳴っている。

 僕はときどきそれを聴き、聴くたびにこう思う ――— ああ、これは、僕等の底に流れてる業( ごう )の音なんだろうなって。

 ごくごくたまに僕はふっと感じるんだが、幸福の本当の故郷っていうのは、もしかして絶望なんじゃないのかな?
 うん、絶望が不幸といがみあう最底辺の地所こそ、幸福がいちばん映える場所だ。
 いろんなことがうまく廻っているときって、僕等、あんまり幸福のことなんか考えなくない?
 僕等が幸福について思いを巡らすのは、大抵それが立ち去ってからのことだ。
 君去りしあとってやつ。幸福が空気みたいにあたりまえなものなら、そのなかに住んでる住人たちは、自分らが恵まれた存在だなんて絶対分かんない。

 つまり、エデンには、幸福論なんて存在しない。
 幸福しかない場所で幸福の話なんかしても退屈なだけだもん。
 誰が聴くのよ、そんなエロス系ソースが一切合切禁じられた、気の抜けたコーラみたいなだらだら道徳を?
 エデンの住人が焦がれるのは、むしろ楽園追放だとかソドムの破滅劇だとかの、堕落と
罪のにおいがプンプン薫る、ドラマチックで刺激的な悪夢伽のほうだと思うな。

 だとすると、ハリスさんがその外交官仕様のフォーマルボキャをあえて投げだして、これほど熱い幸福論をふいに語りはじめたりしたのは、遠からず植民地の簒奪か戦争による虐殺かがはじまるだろうニッポン未来の危機を予感して、そのことをなるたけ早く皆に警告したかったからだ、ということになる。

 してみるとハリスさんは、ああ、やっぱり幕末当時の江戸庶民のことが大好きだったんだねえ!

 彼は、まだ新興国家でしかなかったアメリカの、国益機構の部品として動いてた。
 もちろん自分がそうした機構の1部であることは当然だと思っていたろうし、ある意味、選ばれたエリートとしての誇りみたいなものも胸中にはあったろう。

 その彼がだ、江戸入りして、木造の簡素な家屋に住んでいるひとたちとはじめて会って、財産といえば鍋や蒲団ぐらいしかない日常にいるそんな彼等が、特にそれを引け目に感じる様子もなく、着物もこざっぱりとちゃんと清潔に整えて、さらには胸を張って、驚くほど朗らかに笑いながら自分たち見知らぬ異邦人を歓迎してくれるのを目のあたりにしたとき、どれだけ感動したかはその文章からも読みとれるじゃないか。

 ハリスさんよりいくらか前に江戸入りを果たした、スウェーデンの植物学者ツンベリーも似たようなことをこう書き残してる。

――— この国ほど盗みの少ない国はほとんどないであろう。強奪はまったくない。窃盗もごく稀に耳にするだけである。おかげでヨーロッパ人は幕府への道中のあいだ、まったく安心していれるわけで、誰も自分たちの荷物の安全には注意を払わない。( カール・ベーテル・ツンベリー ) 

 僕は、ハリスさんが168年前に再発見してくれた、ニッポン内の「 質素と正直の黄金時代 」が、タウンゼント・ハリスという個人だけに見えた幻影だったとは思わない。
 それは、ハリスさんやこのツンベリー以外の、当時列島に滞在していた外国人も多く認めていることなんだ。置き忘れて諦めていた財布が、中身手つかずのまま自分のもとにちゃんと届けられて驚嘆した ーーー なんてエピソードは当時の記録にもいっぱい残ってる。

 特にこの財布エピソードは、これだけエゴイズムと物質主義に染められた自堕落ニッポンにおいても、こうしたご先祖DNAのよい遺産系列は、幸いまだ絶えていないようで、いまだに旅行で日本を訪れたうっかり外国人を驚かせつづけているじゃないか。 

 当時世界の最新都市といわれたロンドンを知っているこの二人が、そろって感嘆してる光景はちょっと凄いよ。

 大英帝国の首都、ヴィクトリア朝のロンドンは、日本より100年もまえに、産業革命負の遺産を相続していたんですよ。
 街にはいたるところ製造所や化学工場からの悪臭がたちこめ、その大気汚染の様子が「 霧のロンドン 」と称されていたらしい。
 建物はすすまみれで、行き交う人々の服もすすで汚れ、ひどく咳こみながら歩いてるひともいる。
 貧民街では裸同然の人々が折り重なるように倒れているし、赤ん坊や行き倒れ、凍死者や猫の死骸が転がってることも珍しくなかった。
 
 テムズ川の水が黒く濁っているので、人々は水のかわりにビールをがぶ飲みしており、5才くらいの労働者の子供もくしゃくしゃな外套を着て、イーストエンドの貧しい家族の家計のために、立ちんぼのまま夜半まで声を枯らして新聞売りをしている・・・

「 クリスマスキャロル 」の作者であるディケンズは、当時のロンドンのことを「 ひとを喰う獣の都 」と呼んでいたそうだ。

 さて、19世紀のこのふたつの都、江戸とロンドンと ――— あなたならどっちに住みたい?

 どっちを選ぶのもあなたの勝手だけど、もし江戸のほうをセレクトしてくれたなら、僕はめっちゃ嬉しいな。
 僕はさっき、世界都市ロンドンのネガ面ばかり並べてみたんだけど、実は、当時のロンドンには江戸文化が逆立ちしてもかなわないものがいっぱいあった。

 まずは蒸気船でしょ? それに大砲を積んだ大型軍艦。しかも艦隊って規模。砲兵術。写真術。進化論。活版印刷パスツールによる細菌の発見。それから生みだされた予防接種という技法。つまりは医学という学問の驚くべき新発展・・・。

 シャーロック・ホームズの生みの親のコナン・ドイルにしたところで、元々の職業はドクターだったんだから。
 もし盲腸になっちゃったら、江戸人は公家、将軍、庶民などの身分の貴賤
関係なしに、全員お陀仏だ。
 だけど、19世紀当時のロンドンには、この病をオペして治す技術がすでにあった。

 同じことは江戸礼賛についてもいえる。
 いくら江戸贔屓を通したくても、ハリスさんの見たエデンアングルから漏れだしてしまう、暗い現実も江戸文化のなかにはいっぱいあった。
 飢饉に疫病。
 貧しい農村で頻繁に行われていた間引き。
 江戸文化の影ともいうべき非人、穢多の存在。
 次々と地方から売られてきて、吉原ではかない一生を終える花魁たち・・・

 もちろんハリスさんにしてもプロの外交官なんだから、そのような暗い現実についても知悉してたことは間違いない。
 けれども、彼は、彼の見た江戸庶民の飾らない生活のむこうに、東のエデンのヴィジョンを透かし見た。
 先発のオランダ組やその他の外国人たちのなかにも、ハリスさんが見たのと同じ種類のヴィジョンを見たひとは大勢いた。
 それは、アジアのさまざまな植民地で彼等が見聞きしたものとは、まるきり別種なものとして彼等には感じられた。

 だから、みんな、その体験のインパクトをわざわざ文字にして書き残したんだよ・・・。

 僕はそこに、マキャベリ政治に慣れすぎた人間たちの胸中に、あたりまえのような顔をして住んでいたニヒリズムの「 ゆらぎ 」を見る。
 
 そう、ゲージの針、明らかにゆれまくってるもん。
 何が彼等をそんな風に動揺させたのか?―――うん、「 希望 」しかないと思うんだ、それは。

 あまり世間では流布してない意見なんだけど、僕は「 希望 」っていうのは恐ろしいものだって前々から思ってる。
「 希望 」って、実はとても恐いものなんだよ。
 一心に希望して、望んだものが得られなかったときの絶望ほど痛いものは、ない。
 人間って無意識に痛みを避けたがるアニマルだから、自分の望みを妨げられる手痛い体験を2、3度したら、自分の望みをほどほどに制御することを嫌でもおぼえちまう。

 人生を歩みつづけるにあたって、この種の衛生学を持ちあわせているかどうかは、とっても重要だ。
 だけど、そういった処世訓が行きすぎちゃうと、希望をもつこと自体をだんだんとタブー視するようになっていっちゃう ――― 自分内のささやかな平和を乱したくないゆえに、だ。

 この道のさきには何があるのか?――― 幸福なんていうのはファンタジーか、もしくは童話みたいなもんなんだ、という世界認識の書きかえだ。
 何事にもあまり期待しないこと、望みすぎないこと、自分なんて地球規模でいったら単なる微生物にすぎないんだから、そのへんの「 分 」をしっかりと弁えて、一個の微生物として細々と生きのびる、損得マキャベリズムを座右にして暮らしていくこと・・・

 僕は、いま現在の世界っていう現象は、こうした「 無限の諦めの毛糸 」で編まれていると思うんだ。

 だけど、程々の不幸にどうにか安住してきた哀しい子羊たちが、突然、ひとが変わったように幸福論を叫びだすことがある。
 それは自分たちの想定をはるかに超える、人間業じゃどうにもならない巨大な不幸が自らの目前に迫ってきたときだ。

 それが「 いま 」だ ――— 。
 ハリスさんが幕末ニッポン庶民のなかに見つけた「 東のエデン 」にしがみついたときと同じように、21世紀の現代ニッポンに生きている僕も、やっぱりめいっぱいの幸福論を叫ばずにはいられない。

 なぜか? 僕等のいまの世界現況が、あまりにも不幸だからだ。



 その巨大な不幸の内容についちゃあ、いまさら僕はどうこういわないよ。
 そのへんは世事に疎い僕なんかより皆さんのほうが、もうとっくに肌でビシバシと感じられていることでしょう。

 去年かその前年あたりからはじまったニッポンの混迷は、それぐらい凄かった。
 立花孝志が日本に呼んできて国会議員にさせたガーシーが、日本の芸能界トップのジャニーズ事務所ソドミーを暴き、英BBCがこれに喰いつき、あれほど栄えていたジャニーズ帝国が瞬時に終わった。

 SMAPのリーダーの中居クンは、一気に国民的スターから犯人キャラまで階段落ちし、そのスキャンダルは日本トップのTV局であるフジテレビまで激しくゆさぶった。

 それと同時に、
日航機123便の事故の真相についての論争が堂々と国会で行われるようになり、森永卓郎が表にだした超タブーの財務省問題までが、この表世界に引きずりだされるようになった。

 それと並行してユーラシア大陸ではじまったのが、プーチン・ロシア率いるあのウクライナ戦争だ。旧知識の教科書予測だとロシアの短期圧勝っていうのが大方の読みだったんだけど、時代がむかしとは全然変わっていて、ドローンが戦争の主役になるなんて僕はまったく知らなかったよ。

 訓練されたプロゲーマーの操る無人機のウクライナ・ドローンが、ナポレオンの創始した国民軍の物量万能思想の伝統をものともせず、圧倒的な数のロシア連隊を次々と殲滅してゆくデジタル映像は、なんだかくっきりと明晰すぎて、別次元の悪夢みたいに見えた。

 そして、そのとどめが僕がこの記事を書きだしてから始まった、悪夢中の悪夢であるイラン=イスラエル戦争の勃発・・・
 まして、それにアメリカ=トランプと核までが絡んでくるときた!
 もう唖然として言葉もなかったよ。
 だって、これってほとんどバイブルウォーの世界じゃないか。

 もちろん僕ごときに、この難局をどう回避すればいいかなんて案は、まったくありません。
 出せっこないじゃん、そんなもん!
 ただ、僕が敬愛するジョン・レノンがあの「 imagine 」を書いたとき、世相はちょうどベトナム戦争真っ盛りだったということを、この記事に手をつける際にふと思い出したのよね。

 ちなみにジョンは、かの有名なあの主夫時代に来日した際に、ヨーコさんと伊勢神宮に参拝してて、そのときのインスピレーションでどうもあの「 imagine 」が生まれたっぽいのよ、これが。

 この情報は、僕を驚かせた。
 なぜって、去年 ――― 2024年の師走の14日の夜明けどき、僕はあかねさんと一緒に伊勢神宮の内宮をたまたま参拝したんだよね。

 そして、このときさ、僕等の対面してる内宮の御幌( みとばり )が、ふわーってふいに舞いあがったのよ。それも完璧な90度、正殿の奥側までまっすぐ見渡せるアングルで。たまたま僕等が参拝の二礼二拍手をやりはじめた、ちょうどそのときに。

 僕等のまえに参拝してたひとも、びっくりして振りかえってた。
 あの巨大で重たげな御幌を1分弱もちあげるほどの風なんか、どこにも吹いていなかった。
 僕もあかねさんも茫然としちゃってね、あとから調べたら、それはあっち用語で「 白い風が吹く 」という現象だったらしい。

 あの夜明け間際のふしぎな時間は、ちょっと忘れられない。
 
 そしてね、ハリスさんの幕末言辞を書いてたときにも、やっぱり僕は連想したわけ。
 あれえ? もしかして彼の見たエデンっていうのも、もしかしたら彼なりの「 imagine 」だったんじゃないのかって。

 きっと人間っていうのは、でっかい不幸だとか災害なんかを予知したとき、それまで内臓されてた幸福追求装置がONになるようにできているんだね。
 戦争だけじゃない、僕等の「 いま 」にあわせてセッティングされた時限装置は、それ以外にもいっぱいいある。

 南海トラフ地震
 台湾有事。
 中国やロシアなどが侵攻してくる可能性。
 あと、米国が安保条約を解除したがったらどうするの? とか。

 さらには、なんといっても古代から日本人の主食であり、国内文化の象徴でもありつづけた米の問題。
 ニッポンはむかしっから瑞穂の国でしょう?
 新天皇が即位するときに行う大嘗祭 ――― その際にも米はほとんど主役として祀られてる存在なのよ。
 なのに、それをこんなに粗末に扱って、目先の儲け優先で米農家に何十年も狂ったような減反政策ばかりやらせちゃって、そのツケがいまになってこんなに恐ろしい取りたてにやってきてるんじゃないの?
 
 今日もあしたも、僕等のまえに難問は山積みだ。
 めまいがするくらいのこんな運命的ドツボ ――— どうすりゃいい?
 分かんないよ、やっぱり。
 どうにもこうにも分かんないから、自分にできる範囲で自分なりの幸福論を歌うことにした。
 ベトナム戦争が真っ盛りのとき、ジョン・レノンが自分なりの幸福論である「 imagine 」を歌ったみたいに。
 あるいは、幕末ニッポンを訪れたタウンゼント・ハリスが、当時の江戸庶民のなかに「 東のエデン 」のヴィジョンを見つけて、目をきらめかせたあのときのように。

 僕は大したオトコじゃないから、この記事にしても大した歌は歌えてないと思う。
 ただ、ここまで世界中に積もり積もった不幸の積載は、これはもう仕方ない。
 僕等
は自分たちより弱い種を幾万も滅ぼすことによって、この地球の覇者とやらになったんだから。
 この程度の酬いの驟雨は、そりゃああるでしょう。
 ただ、僕が思うに、ニンゲン世界って、たかだか地面から地上2m程度の高さまでしかないんだよ。横への奥行はたしかに相当あるけど、縦下両方面への縄張り空間ときたら、ほんっと、薄紙くらいしかないんだよ。

 そんなペラッペラの二次元の覇者ごとき存在が、成層圏から銀河の彼方まで含めた広大すぎる世界全部を分かった気になるな! と僕はいいたいね。
 仮に、僕等の世界全部が不幸の積載に呑まれたとしても、それは所詮ペラッペラ二次元の人間認識が寿命をむかえて消滅したってだけの話じゃないの。
 広大無辺の世界は微塵もゆるがないよ、その程度じゃね。

 そういう視点に気づかせてくれたのが、僕にとってハリスノートであり、ジョン・レノンの「 imagine 」なんだよね。
 あれらはね、狭っくるしい僕等の二次元世界から、広大無辺の世界にあてて穿たれた「 窓 」なんだ、と思うな。
 さもなきゃ「 天文台 」みたいな存在かな?

 去年あかねさんと一緒に訪れた伊勢神宮内宮の御幌( みとばり )が開いたのも、きっとそれと同じだ。あれは、あそこでたまたま運よく、僕等のまえで窓が開いてくれたんだ、と僕は思ってる。

 そりゃあ不幸は嫌ですよ。
 人並みに戦争も怖い。
 経済破綻だって超・ビビッてますって。

 でも、魂が縮こまるほどの「 畏れ 」の感情は、まったくないな。
 大丈夫 ――― 高さ2mしかない薄っぺらな世界が焼け落ちたって、たとえそのなかで僕が焼け死んだとしたって ――— なんとかなる・・・。

 いいよ、どんな不幸だろうがやってくるがいいさ。
 
 いささか蛮カラで不条理の極みかもしれないけど、僕のいまの胸中というのは、これで全部です。
 
 あ。ここまで読んでくれたすべてのひとにありがとう ――— 僕の今日の記事はこれで終いです ――— お休みなさい。

              ( fin )
 





 

 
 
 

 
 


 

💎 呪詛る呪詛れば呪詛るとき 🚩 ( 呪詛3段活用:呪詛人さんへのラス・メッセージ 💘 )



 
Hello、皆さん、お元気ですか?

 これは、前々回の My記事、2025-2-14 の 💎 三峰神社での物語( 呪詛と祓いと訴訟と神秘のエピソード )」
 2025-2-20 の 💎 呪ってなあに?-あかねヴィジョンに現れた血の意味についての考察ー 」に次ぐ

 俺の「 呪 」シリーズの第3段記事にあたります。

 https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/b7649a36e632f1f040190f4f1b349da1

 https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/4bb337cc2bd605c66fcf8061238bc944


 前2つの記事は、いままでずーっといえなかった裏マイケルブログの情報といった面もあったんだけど、いくらなんでもプライベートで私小説すぎるんですよ。
 だって、前者ふたつは、俺とあかねさんだけの個人的体験だから。
 拡散性がないことも一般性がないことも充分分かってた。
 でもさ、マイナーだろうが何だろうが、そういったリアルなことをあえて書くのがマイケルブログなのよ。

 本ブログのバースデイは2017年の4月3日 ―――
 当時、いい意味でもわるい意味でもネット陰謀論の最先端を走っていた、リチャードコシミズ独立党の定例行事だった花見会の席に、ま、後に作家となる新藤洋一氏、水野さん、T社長、あと1名らと組んで、俺等、2017年の4月2日に殴りこみをかけたわけですよ。
 場所は、豊島区の西池袋公園
 首謀者である俺は、自分が袋にされる可能性についても当然考慮に入れてました。
 そういったサイアク事態に陥った場合には、駆けこんで診断書を取って事件にするつもりだったから、近隣の救急病院や、警察や交番の連絡先なんかもあらかじめ全部チェックしておいたわけですよ。

 そうして、その 4.2 花見追及の夜に、俺はあるひとの仲介で、初めて電話であかねさんと話したの。
 そして、4.2の夜はまるまる徹夜して4月3日に立ちあげたのが、このマイケルブログだったというわけなのさ。

 一般的にいえば、この 4.2 も奇襲 ――― といえるものなのかもしれないけど、むろん暴力的なものじゃありません。

 ありていにいえば内部告発だよね、あれは。
 ネツトという安全な仮想空間を通じてなら、誰だって好きなことはいえる。
 でも、リアルな現実の土壌でじかに対峙したなら、幻想で生きてるひとは絶対にリアルマンには敵わない。
 リチャードコシミズ( 輿水正 )さんがそうでした。
 彼、凄いくらいに目が泳いでたし、もうビビリまくってたもんね(笑)

 この 4.2花見の翌日の4月3日、リチャードさんは新藤さんが返却してほしいといっていた山荘資金の5万を、速攻で返してきた。
 俺はその後すぐにリチャード本を出していた成甲書房の社長さんとも会い、リチャードコシミズとベンジャミンさんの動画を配信していたFACTさんの水道橋会場にも何度か直接出向き、リチャードさんの全国講演を阻止すべく百軒さんやあかねさんと協力して、リチャード講演会をかたっぱしから潰していった。

 リチャードさんがむかし勤めていた会社にいって応接室で話も聴いたし、
 リチャードさんの実家にいって、彼の実母ともお話しさせてもらったりもした。
 秩父長瀞講演会のときには、秩父警察の面子に講演会場のカーテン一枚裏に張りついてもらったり、
    さらにはコロナ禍になって、彼が反ワク路線に突きすすみ、アビガンやイベルメクチンの有効性についてやたらと喧伝しはじめる時期になると、さっそく長野県薬事課の人とも話し、薬事法違反の件で彼を一度ひっぱっていってもらった。

 そんな風に色々とやってたらね、俺を標的にした集団スラップ訴訟ってのが始まってしまったんですわ、これが。
 どの訴訟者もその訴状の冒頭にリチャードコシミズの称賛文を誇らしげに掲げていてね、これにはもう大笑いだったな。
 集団訴訟自体には閉口したけどね、新潟に旅行行けたり、大阪や前橋くんだりまで出張気分で行って、あかねさんとご当地グルメを堪能したりもできたから、まあ、楽しかったといいきっちゃってもいいと思う。

 ただ、薄気味わるかったのは、呪詛だね。
 誰それが憎いと思っただけで、そうした自分の呪念を実際に「 飛ばす 」ことができる人間が実在するというのは、それまでそっち方面に懐疑的だった俺の世界観をゆさぶるには充分だったな。
 
 


  集団訴訟サイドの「 そのひと 」から俺とあかねさんに届けられた「 呪詛 」は、以下の通りだ ―――

 ①  2020年5月8日にあかねさんが 関西自宅で見た のヴィジョン 」
  昼食後あかねさんが自室のPCのまえに座ると、
  机上に血の雫が垂れているのを発見。
  自分の鼻血じゃないかと思い鏡を見ても鼻にも額にもそれらしい形跡はなく、
  天井から垂れてきたのかと見上げても天井に血が溜まっている様子もない。
  気味わるくなってティッシュでそれを拭いゴミ箱に投げ捨て、俺に電話した。

  俺はすぐにゴミ箱を探って、血を拭いたテッシュをスマホで撮って、俺のところへ送るよう指示.。
  
  あかねさんはすぐにゴミ箱を見探ったが、血を拭ったティッシュなんてどこにもなかった。
  えっ? 夢だったの? しかし、あかねさんに夢を見てた自覚なんかない。
  だったら、あれが白日夢ってやつ?
  しかし、生まれてこのかた、そのように不可思議事に出会ったことは1度もない。
  非現実と現実との境で、軽いパニックに見舞われながら、あかねさんはどう動くべきか全く分からなかった・・・。

 ②  上事件より遡ること1年と半年前の2018年の12月13日木曜の夜。
  あかねさん、ビル階段より転落して、意識不明となり救急搬送される。 
  原因は貧血によるものだったようだが、あかねさんはこれまで貧血になったことなんてなかった。
  幸い大きな怪我を負うことがなくて済んだが、まかりまちがえればサイアク事態に陥っていてもおかしくなかった。
  時期的に、ちょうど俺に対する彼等からの集団訴訟が始まった頃と被っていたので、その符合に2人して少しゾッとなる。

 ③  2020年の6月26日、1818の第3回目の口頭弁論がさいたま地裁で開廷され、俺とあかねさんが原告としてそれに出廷する。
  その翌日の27日、奥秩父三峰神社にあかねさんと2人で登拝する。
  本殿を参拝したときは薄曇りの空だったが、奥宮参拝路に入った途端もの凄い霧に見舞われる。
  体力に自信があるはずのあかねさんがふいに失調して、登拝路の木椅子にへたりこみ、
  俺は俺で丈夫なはずのズボンの皮ベルトが突然切れ、そのいきなりのありえなさに当惑する。
  幸い15分くらいで2人の失調は治まり、2人して妙法ヶ岳の山頂にある、念願の奥宮まで詣でることはできた。
  帰り路の奥宮登拝路の鳥居から出たら、濃い霧がすーっとウソのように引いていって、三峰の青空と背景の山々とがどーんと現れた。
  
  ( この件は前々記事にも書いたんで興味ありのひとは下記を読むべし )

  https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/b7649a36e632f1f040190f4f1b349da1

 ④  2022年10月17日、前橋からの名誉毀損訴訟の反訴として大阪から起こした1546の裁判のため、俺が大阪に出張。
  第3回目の口頭弁論だったのだが、前橋からの訴訟者は出廷せず、そのまま事件は結審となる。
  異郷の裁判での俺等の楽しみは、いつもグルメ。
  この日、俺等はあかねさん推薦の、難波の「 クレイプリー・アルション 」さんにお邪魔した。
  あかねさんお墨付きの店らしく、どの皿も極上といっていいクレープが次々と出てきて、俺等は午すぎの裁判のことなんかまったく忘れてた。
  俺等、この店の2階席の2人用テーブルに陣取っていたんだ。
  あかねさんが壁を背にして、俺は反対側の通路寄りの席。
  そして、俺等の右隣りは、20代くらいの若いカップルが座ってた。
  俺の右隣には若い髪の長い女性、あかねさんの左隣りの席には帽子の男性客さん。

  そろそろ会計かねみたいな話になって、じゃあ私ちょっととあかねさんがトイレに立ってすぐ、それは起こった。
  それまでずーっと黙ってた、右隣の女性客のほうが急にこうつぶやいたんだ。


――――・・・〇〇〇さんは・・・便所の脇席なんかに案内されるようなひとじゃないから・・・

―――― ・・・そうだね・・・〇〇〇さんは、そんなひとじゃない・・・


 聴いた瞬間、身体中総毛立った。
 だって、そのとき見知らぬ女性からいわれた名前は、俺等が呪詛者と目していたひとのものと1字のちがいもないものであって、
 その直後に男性が漏らした返答の苗字のほうも、俺等が呪詛者のものと見做していたそのひとの苗字と完璧に同じものだったからだ。

―――― なんで? なんでこんな見知らぬ人しかいない異郷の店のなかであの名が聴けるわけ?

―――― 偶然、としか考えられないけど、こんな偶然ってあってもてもいいのか・・・というか、どうしたらこんな偶然に出会えるんだよ・・・!?

  俺、彼等に話しかけて聴いてみようとしたんだよ。
 見知らぬ若い彼等がどうしてその名を口にできたのか?
 もしくは彼等の話にでてきたひとが本当に実在するのかどうか。
  だけど、そのときちょうどあかねさんがテーブルに帰ってきて、それと入れちがいにそのカップルも席を立っていってしまったんだ。


―――― マイケルさん、どうしたの? なんか顔つきがヘンですよ・・・

―――― うん、なんか信じられないこと聴いちゃったんだよ・・・この手ェ見てよ・・・ほら、毛、逆立ってんだろ・・・?

―――― あっ・・・ほんとだ・・・

―――― 店、出たら話すよ・・・あかねさんが見たっていうヴィジョンってやつを、どうやらたったいま俺も見たみたいだ・・・


 で、外でその話をして、2人してサブイボ状態になってから、またもやあかねさんのスマホフリーズが始まったんだ。
 難波からお宿の太臨寺町までの歩行距離、約4.2キロ ―――
 かかる時間はだいたい20分前後 ―――

 いろんなルート検索をしたんだけど、どうやっても「 裁判所通り 」経由の道筋ばかりを google map
は表示するんだよ。
 ヤバすぎだって ――― そのひとの執念というか怨念を、びんびん感じたね。
 みんなでやる裁判を終らせたくなかったんだろうな・・・。
 そして、あのときの三峰の奥宮さんへの登拝も、やっぱり行かせたくなかったんだろうな って・・・。
 
  




 
    話には聴いてたけどね、そういった心霊的な「 飛ばし 」をやれる奴が世の中にはいるんだってことが、それで分かったね。
 それはほとんど俺等目線からすると、超能力っていっちゃってもいいレベルのもんかもしれない。
 ただね、怨念を自在に「 飛ばせる 」からって、そのひとがフツーのひとより偉いわけじゃない。
 人間の歴史や価値は、そんなような薄っぺらい軽業じゃ超えられないものなんだから。
 ひとを恐れさせるそういった特技は、だいたいにおいてそのひとの周りにいるひとを恐れさせたり、遠去けてしまうほうにしか働かないんじゃないのかな?

 俺等はいろいろ調べに調べて、そのひとの2016年の夏に何があったのか ――― ということまで全部知っている。
 でも、そのことがどうだとかこうだとか、いうつもりはさらさらない。
 いささか傲慢かもしれないけど、俺は、そのひとのことを非常に孤独で、淋しくて、不幸なひとなんだ、と思ってる。
 だって、呪詛ってそもそもが孤独で哀しいものでしょう?
 そんな薄暗い座敷牢みたいな場所にいつまでも閉じこもっていちゃ、絶対いけないよ。

 といっても、じゃあどうすればいいのか? という代案がいまのところ俺にはなんにもないわけ。

 そのひとの「 それ 」はそれからもいくつかあった( 名前からそのひとが特定されてしまうんで、それらのことはいえません )けど、そうした呪詛のすべてが、俺には求愛の悲しい調べのように聴こえた。

 そう、怖いんじゃなくて悲しいんだ。
 俺はそのひとの途切れ途切れの呪詛の行間に、ドストエフスキーマルメラードフの台詞をいつも聴いていた。


―――― 分かりますか、分かりますかね、学生さん・・・この先もうどこにも行き場所がないということが、どんなことか・・・? いいや、あなたにはまだまだ分かりますまい・・・だって、誰のところへも行くあてがないとしたら。どこへもほかに行く先がないとしたら! どんな人間にしろ、せめてどこかしらいくところがなくちゃ、やりきれませんからな・・・。うちの娘がどうして黄色い鑑札をもらうようにまでなったのか?・・・もうどこにも行くところがなかったからです・・・。分かりますか、分かりますかね、学生さん!・・・もうどこにも行き場がないということが、一体どんなことなのか・・・?


 呪詛は悲しい。
 そして、それ以上にざらざら淋しい。
 あらゆるカルトや非合法組織が群れる動機は、ただひとつ、これしかないと俺は思ってる。
 行き場所がほかに何にもない人が、自分が確立した唯一の居場所を守るために、独立党なんてものに所属して、みんなして告発者であり弾劾者でもある俺を集団訴訟した。
 最後に紡げた他人との縁を、もうこれ以上2度と断ち切られないために ―――。

 どうしてこれを責められるだろう?

 いいや、とても責められないよ ――― 俺だって一見幸せそうな顔をしてるように見えるかもしれないけどさ、芯の部分ではこのマルメラードフとおんなじ調べがいつも鳴ってるもん・・・他人事じゃないんだ、誰にせよ彼にせよ。

 それは、たぶん現世に生きてる人間全ての業だと思うな。
 そして、その自分の業とは、絶対に闘いつづけなくちゃいけない。
 もちろん相手が相手だもん、勝つことはないよ、業に勝てる人間なんていない。
 でもさ、闘いつづけていれば負けないんだ ――― そうやって生涯歯を食いしばりながら闘いつづけるのが人生の心御柱( しんのみはしら )なんだ、と俺は確信してる。

 実相は修羅なんですよ、どんな人生もこんな人生も。
 あなたの人生は最近どうですか。
 いい風が吹いていますか?
 笑いが凍えかけちゃいませんか?
 いろんなこととうまくつきあっていけてますか?
 
 超・ハードな話になりました ――― 今日の俺の話はこれで終いです ――― お休みなさい。 ℱin.




 Unknown  ( あかね ) 2025-03-12 10:39:06

裁判中、陰謀論訴訟軍団は、「鬱陶しい」存在でした。

しかし今となっては、彼らがあの「禍々しい世界」から卒業して、それぞれ幸せな人生を歩んでいてほしいなと思っています。

判決文大量誤記の石垣訴訟の帰り、神楽坂のとあるブラッスリーの予約を取っていたのですが、間違った駅で降りてしまったことがありました。

なんとそこは、訴訟軍団の傍聴席の常連メンバーの自宅の最寄りの駅だったのです!

なにげに様子を見に行くと、その人物は引っ越しており、標札は、見知らぬ会社の名前に変わっていました。

その1年ほど前、彼は、コロナに感染したお母さんにインド製のアビガンだか、イベルメクチンだかのジェネリックを飲ませて、深刻な健康被害を与えてしまいました。本人も薬の後遺症に苦しんでいました。

彼のお兄さんは医師なので、相当怒られたのでしょう。引っ越しによって、科学的根拠のないデマを吹聴する陰謀論者の友人から距離を取らせたのかもしれません。

いまだに、インド製のイベアビを飲んでる人がいるとすれば、それは間違いなくワクチンより危険なので、即刻やめることをおすすめします。

そのブラッスリーですが、当時コロナ禍で、オーナーシェフが1人でお店を切り盛りしていたため、何度電話しても通じなかったのに、裁判所に入る直前に、やっと通じて予約が取れたのです。

もし、予約が取れず、他のお店にも行っていたら、そして、間違った駅で降りなければ、彼の引っ越しはわからぬままでした。

陰謀論は百害あって一利なし

陰謀論者らの根底には、被害者意識と被害妄想があり、常に見えない敵と戦っている状態なので、身体にいいわけがありません。

訴訟軍団も、私たちを通じて「世間全般」と闘っているように見え、1ヶ月に1回みんなで集まることを楽しみにしていたようです。なのに、新潟やら大阪の遠地にはやってきません。

私などは、新潟で日本海の海の幸を食べたい、弥彦神社にも行きたいと、マイケルさんが訴えられたときは小躍りしたほどです。

そして、被害者意識の最たるものが、ワクチンに毒物が入れられているというものです。

ワクチンが体質に合わず、後遺症に苦しんでいる人が居るのは否定しませんが、人口9割削減やら、周りの人がバタバタワクチンで亡くなっているというのは、思い込み以外のナニモノでもありません。なぜなら、私の周りに被害者は1人もいないからです。聞いたこともありません。

中には、ワクチンを打たなかった自分のことを「人生逆転ホームラン」を打った勝ち組かのように、自慢げに語る人もいます。

いやいや、私も3回くらい打ってますが、何の健康被害もなく、コロナにも感染してませんから。まっ、ワクチンの効果で感染しなかったのかどうかは不明ですけども。

白米でも、砂糖でも、小麦粉でも、毒だと思えば毒になるのです。

ワクチンを接種した人が毒素をまき散らしているとする「シェディング」を信じる人もいますね。しかし、その荒唐無稽な考えは、すぐに捨てることをお勧めします。

病は気から。こんな考えを持ちながら街を歩けば、病気になること間違いなしです。

ところで、大将が貧血で体調を壊しているようです。

大将は、デマを配信して害悪を撒き散らさず、栄養のあるものをたっぷり食べて、たっぷり寝て、温泉にでも浸かるのが一番ですね。








 

 

 

 

💎< 呪 >ってなあに?ー あかねヴィジョンに現れた血の意味についての考察 ー

 

 あかねさん、素晴らしいコメントを有難う。

 俺、あれから現役の拝み屋であって怪奇作家でもある郷内心瞳さんや、その他さまざまな識者の方と会ったり、そっち系の本を読みあさったりして情報を集めたんだけど、いわゆる霊的アングルからいうと、赤って色は結構危なくて、やっぱり避けるべき色なんだそうだ。

 赤は、攻撃色だから。

 あれは、あかねさんの無意識がそうした危険を察知して鳴らしてくれた、一種の非常ベルみたいなものだったんじゃないか、と個人的には思ってる。
 あかねさんは霊感ゼロをいつも自称してるけど、そっち系の潜在能力って結構あると俺は思うぞう。
 それにあかねさんはたぶん護りが強い。
 
あれだけの階段落ちをしたのにあれくらいの怪我で済んだっていうのは、あかねさん自身も語ってるように、やっぱ「 強運 」だよ、あれは。
 なんらかの守護めいたものを俺は感じるね。

 郷内さんがいうには、人間の想いっていうのは俺等が普通に思っている以上に、か~んたんに飛んでいくものなんだそうだ。
 そういえばたまたま誰かのことを思っていたら、久しく連絡してなかった当のそのひとから電話がかかってきてびっくりした、なんて経験は俺等でも日常的に結構あるもんね。
 
 そして、どんな人間にも得意不得意があるように、そうした能力に特に秀でたひとも世にはざらにいるっていうんだ。
 俺等視点からすると、そうした飛ばしをするためにはもの凄い
精神集中が要りそう、なんて先入観がついありがちなもんだけど全然そんなことはなくて、ふっと軽く意識しただけでそうした飛ばしをやっちゃえるひとっていうのは、めちゃくちゃに多いっていうんだな。

 凄い営業成績をあげているサラリーマンなんかの一割くらいは、いわれてみればそういった「 飛ばし能力 」を生まれながら持ちあわせているタイプといえるのかもしれない。

 ひとを共鳴させる波動 ―――

 感動させることができるほどの波動 ―――

 あるいは、人を思ったほうに誘導できる波動 ―――

 うん、分かる ――― そういった波動をもちあわせたひとたちは、たしかにいるよねえ!?

 でも、そういうひとたちがいるのなら、そういった波動のネガティヴ面に秀でたひとらもやっぱりいるわけだ。

 あいつ、不幸になっちまえ!

 あんな奴が幸せになるなんて許せない。

 あいつなんか死ねばいい。

 人間の心は広大だから、俺等のなかにも < そういった暗い情念を収める用のフォルダ > は、たしかにある。
 
そういった「 飛ばし 」の能力をポジティヴに使って社会のなか、人間関係が重要な営業とかの仕事枠のなかでノシていくひともいれば、そういった能力を使って憎らしいあいつの足をひっぱっては壊していくひと ――― そんな逆タイプもまた当然存在するわけだ。

 超・醒めきった理屈の見地からいうと、どっちの立場ともまことにもっとも、ということになるんじゃないかな?

 この世はあまりにも広く多層的で、あかねさんのいうような相対性にまさに満ちている。
 憎んで生きようが、オープンマインドで進もうが、それはその当人の勝手だ。
 正義っていうのは、俺は、理論の言葉じゃなくて情念の言葉だと思う。
 この素晴らしい響きの言葉の裡にも、100分の8ほどの「 呪い 」の成分が含まれているとあかねさんは感じないだろうか?

 俺は、感じるのよ。

 愛も憎悪も合わせ鏡みたいなもんであって、どっちを居住すべきホームスペースにするかは別として、それらの両世界が互いに重なりあった集合領域として存在していて、それぞれが隣り世界の空間領域を旅行するみたいにくるくると幾度も通過しあい、ときには愛領域に基本戸籍を置いてるはずのひとが相手世界の凄まじいばかりの悪意に染められたり、それとは逆に、あれほど憎悪を生涯指針にしていたトゲトゲ人が、いつでも生ぬるい水彩画みたいに思っていたウザすぎる愛世界の明るみに、つい心を吸い取られそうになってよろめいてみたり・・・

 そういう矛盾だらけの人間同士が目隠しして交差しあう重力場がこの世なら、世間のなかのあちこちで「 呪い 」が生じるのは必然だ。




 三峰の記事には書けなかったけど、その後も執拗なあかねさんへの妨害はいくらも続いた。
 忘れもしない2022年の10月17日 ――― 舞台は大阪。
 この日訪れた大阪地裁で、集団訴訟の一環であった1546号が第3回の口頭弁論をもって結審となった。
 俺とあかねさんは晴れ晴れよ。
 裁判が結審してもう大阪地裁にはこなくていいことになったんで、その開放感から即遊びにでた。

 したら、あかねスマホがまたしても電波障害よ。
 南久法寺のサンマルクで、何をどうやっても全然フリーズ状態が解けない。
 やだねえ、また? 気味わるいよなあ、とかいいながら2人してあかねさんお勧めのクレープ屋に入った。
 そしたらそこの店の2階のテーブルで、2020年5月8日にあかねさんが自宅で血の雫のヴィジョンを見たように、今度は俺が新たなヴィジョンを見る・・・。

 それの内容は、わるいけど一生いえないな。
 それは非常にもの悲しい、あるひとの孤立とプライド問題に深く関わることだった。
 俺が目撃してそれをあかねさんに話し、ふたりしてマジに総毛立った。

 で、ようやくのこと google map が起動しだしたので、難波から大融寺のホテルへの帰りの道筋をナビさせたんだが、どうやってもそれが裁判所経由のルートばかり主張するのよ。用がすんで、もう2度と行かないつもりでいた地裁経由の道筋ばかりを。大阪地裁は脇道に入ってすぐのところにあるんだ。そんな脇道をわざわざ通らなくても、そこの大通りをちょいとまっすぐいけば大融寺まではすぐに着けるはずなのに。

―――― マイケルさん、これ・・・

―――― うん、ヤバイね・・・こんな誤作動、フツ-じゃない。

―――― ここまできたらもう迷いっこないんだから、こんなナビなんて無視して、分かる道のほうをいきますか・・・?

―――― いや、ナビの示すまま行こう。行ってみて、確かめよう・・・。


 人通りのすっかり失せた夜の大阪地裁 ――― 。

 ナビ案内のままじりじりと進んでいって、昼間別れを告げたはずの大阪地裁にもう1度対面したときにはゾッとした。
  「 そのひと 」の執念を感じたね。

 ただ、2020年のころのそれらとは違っていて、その執念は以前よりはるかに弱々しく微弱になっていた。
 疲労と憔悴、擦りきれかけた憎悪と淋しさの気配がむんむんしてた。
 身体、あと心を壊してなきゃいいが、と俺は思った。

 俺とあかねさんの1818号訴訟の判決書に、司法史教空前の108箇所の誤りを残した男・石垣陽介裁判官( 当時、彼はさいたま地裁の民事5部から東京高裁の民事23部に異動して、まだ半年と3週しか経っていなかった )が日本最北端の旭川地家裁にふいに飛ばされたのは、それから8日後の2022年10月25日のことだった・・・。

 


 あかねさんが目撃した2020年5月8日の血の雫ヴィジョンの話にもどろうか。

―――― 2020年5月8日に、赤い液体のビジョンを見たことは事実です。仕事をしようとパソコンの前に座り、一度天井を見て、机の上を見てもまだあったので、目の錯覚ではありません。


 作り話? こんなオチのない話は作れません。

「 精神的にまいっていた 」ということもないですね。こういう経験は、後にも先にもあの一度だけです。
「 階段落ち 」にしても、私のとりえは、性格が明るいことと、健康なことだけなので、大人になって倒れたのは、あのとき一度だけです。ほんとに、不思議な体験でした。ほとんど怪我がなかったのは、いろいろな存在に感謝しています。

 もちろん、裁判中にあった出来事というだけで、一連の裁判や裁判の相手とは、なんの関係もないとは思います。
 これ以外にも、個人を特定できてしまうので、書けない不思議な現象はいくつもありました・・・。( by  あかね )


 このあかねヴィジョンのいちばんの肝は、やっぱりいつのまにかPCを置いたデスク上に落ちていたという血の雫だろう。 
 この出所不明の液体が仮に青や緑や黄色であったなら、このヴィジョン自体の恐怖度も恐らく5割方は低下していたはずだ。
 あかねさんはこの赤い液の出所を見探り、天井を見上げ、気づかないうちに自分の鼻血が落ちたんじゃないか、と鏡で探してみたりもしている。
 でも、どこにもそれらしい痕跡はない。

 なら、血のように見えたその赤い雫は、一体どこから侵犯してきたのか?

 それがたしかにあったいう現実的証拠は、自身の手でティッシュを使って机上に落ちたその血の雫を拭きとり、それを自室のゴミ箱にポンと棄てたというその1点のみだ。
 でも、血を拭ってゴミ箱に棄てたテッシュの丸め屑を、スマホで撮ってすぐにこっちに送ってという俺の申し出を、あかねさんは実行できなかった。
 自室のゴミ箱のどこを見探っても、血をぬぐったはずのティッシュ屑自体が見つからなかったからだ。

 ここに至って、あかねさんの現実認識は大きく揺らぎだすことになる。
 なんで? 赤い血を拭きとったという記憶は、あたしの夢・・・だったの・・・?
 いやいや、夢のはずがない。あたしはちゃんと覚醒していたし、あれがもし夢だったら、現実にもどるときに必ず通る、軽い二日酔いじみたちょっとばかし不快な、まどろみから現実回帰するとき特有のあの不快感が、まだいくらか身体に残ってるはずだもの・・・。

 けれど今、そんな名残りは身体のどこにもない。
 頭だっていつも通りに冴えている。
 ということは、あれはあれは夢じゃなかったということだ。
 けど、夢じゃなかったとしたらあれはなに? 幻? バカな・・・。
 じゃあ、白日夢? どんな薬も飲んでないのに? あんなにリアルだったあれが幻だったなんて、どうあっても信じられない・・・

 そんな風に軽いパニックに見舞われはじめたあかねさんに、俺が提供した新しい視点が「 呪 」だった。

 
―――― なら、あかねさん、いっそこんな風に考えてみたらどうだろう?

―――― こんな風にって・・・どんな風にですか・・・?

―――― いや、あかねさんも恐らくは薄々感じてるようにってことだよ・・・これってひょっとして、特定の誰かかの呪詛なんじゃない?・・・というそっち側のアングルのことだね・・・。

―――― たしかにそうじゃないかって思ったことはあります・・・それも1度や2度じゃない・・・だけど、そんな風に考えることって、あまりに前近代的だし、非科学的にすぎるんじゃないですか・・・? 

―――― 科学だって仮説だよ・・・。そうして、非科学のほうも、やっぱり仮説だ。俺等の誕生以前の古い歴史研究だって、それもやっぱり仮説だよ・・・世間の常識にしても、時代の流行ごとに衣替えをしつづける仮説の変化( へんげ )形態として見れないこともない・・・。全部がぜ~んぶそうなんだ・・・仮説なんだ・・・この世っていうのはさ、みんな仮説という名のフィクションでできているんだ・・・

―――― それは・・・あたしたちが最近経験したいわゆる呪詛的な諸事件も、みんな虚構だったっていいたいわけですか・・・? そういうのはあまり建設的な視点とは思えないんですけど・・・

―――― ちがうよ・・・そうじゃない。それは・・・やっぱりフィクションを外側から眺めている考えかただ・・・それよりもっと肝心なのは、実際のそうした事件に遭遇した際に、あかねさんのアンテナがどう感じたかってほうなんだ。外側からのカテゴライズなんてどうでもいい・・・どんな権威も関係なし! 大事なのは、あかねさんの真っ正直な感じかただけだ・・・あかねさんは、その血のヴィジョンを見たとき、率直にどう感じた・・・?

―――― う~ん・・・怖かった・・・

―――― 怖かった? 素晴らしい・・・自分が実際に感じてから自分なりの仮説を立てるそっちのほうが、ありあまる幾万もの有象無象の仮説のなかから、自分の境遇にいちばん合ったものを背伸びしながらセレクトする行為より、ぶきっちょでも、みっともなくても、よっぽど立派で、リアルで、美しいと・・・俺は思うね。

―――― 怖かった、怖かった・・・怖くてぞっとなった!(笑)

―――― 俺もだよ・・・俺も怖いと思ったよ、マジで。空間や距離を越えて、呪念を送るようなことができる人間が実際にいるなんてね!・・・でもさ、感じるって行為は正しいんだ・・・ブルース・リーがその活動の後期に < Don’t  Think,Feel> といった意味は、そういうことだと俺は思うよ。

―――― じゃあ、いくらか疑ってたけど、あたしたちが体験したアレは・・・実際に呪詛だったってこと・・・?

―――― あかねさんも俺も双方そう感じたんだもの・・・なら、それはリアルだよ。

―――― わーい、なんか元気がでてきたっ! じゃあマイケルさん、あたしたちはこれからどうするのがいいんでしょうか!?

―――― 俺等、いわれのない呪詛をかけられたわけだろ?・・・いちばんの攻撃色である赤い血の強迫的なヴィジョンまでまえもって送られて・・・どうすりゃいいのか? な~に、簡単だよ・・・呪詛られたなら、祓えばいい。

―――― おお!

―――― おお、じゃねえよ(笑) 実際にあの5月8日のヴィジョンのあとで、真っ先に三峰さんに行きたいっていったのは、あかねさんのほうだぜ! あかねさんかあかねさん背後の護りの誰かさんのほうが先に答えを見つけてるんだ・・・俺なんかただの後追いだよ(笑)・・・


 そんなどうでもいい戯言を投げあいながら、俺等の大阪の夜は深々と更けていったのでありました。
 あ。この記事は前記事「 💎 三峰神社での物語( 呪詛と祓いと訴訟と神秘のエピソード )」の対構造、まあ続編といってもいい内容です。

 https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/b7649a36e632f1f040190f4f1b349da1

 興味ある方は、この三峰神社篇のほうにも目を通していただければ幸甚です。 
 お休みなさい ―――。

   ( ℱín)


< 2025/02/21 08:27:41  あかね >

  私の人生は順風満帆でした。

過酷な受験戦争とかは嫌なんで、内部進学。「昔」の夢は大企業に勤務している人と結婚して専業主婦。

自営業、会社経営者は、いくらお金もちでも、お手伝いや付き合いなど大変なのでパス。

親も幸い大企業に定年まで勤めるようなタイプの人だったので、金銭的苦労は何もしていません。

勉強は試験直前しかしませんが、2以下を取ったのは、作品を提出しなかった中2の美術1度きりなので、要領は良かったんだと思います。

身体も丈夫なので、重い病気になったことはありません。身内に犯罪に手を染めて有名になった人もいないため、そうした苦労もありません。

当然、ちょっとした山や谷はありましたけど、自己分析では、アップダウンはかなり緩やかでした。

というか、「政治家になる!」「芸能人になって売れる!」というような「大きな夢」がなかったから、順風満帆だったんでしょう。だだそれだけの話かなと?

希望が叶い大企業に就職しましたが、旅行の楽しさを知り、この生活は楽しすぎると考え、専業主婦の夢から方針転換。緩〜く働いて、遊びながら暮らしていこうということに決めました。

当時、自分がとくに恵まれてると思わなかったけど、今、さまざまな人の人生に触れて、自分の境遇は恵まれていると実感し、ご先祖様、親、環境、これまでの関わってくれたすべての人たちに感謝しています。みんな私の先生でした。

それから、私は職場や学校で、癖が強くて浮いている人(同僚でも先生でも)と仲良くなれる才能があるようで、人間関係で不愉快な思いもほとんどしなかったです。

こちらから相手に興味を持てば、向こうが心を開き、仲良くなるのは簡単でした。

集団の中で浮いてる人って、実は非常に個性があり、魅力的で興味深い人たちなんです。私はこういう人たちを観察するのが大好きでした。

それが、某裁判(自分が当事者ではなく、マイケルさんではない友人の裁判)の傍聴に来ていた相手方の応援者、約30人の視線は、これまで私が出会った人たちとはまるで違いました。

何が違うかって、彼らから発せられる異様な雰囲気なんです。地獄の底より仄暗い! 強烈な負のパワー! これは面白い! これを研究したい!

私が職場や学校で出会ってきた、「ちょっと偏屈な人たち」とは違い、こういう人たちと、個人的に仲良くなるのはまっぴらごめんですが、「興味深すぎる!」と思い、もっと観察したくなりました。

と考えていたら、そうした人たちをさらに間近で観察する機会を得ました。量子力学の世界では「引き寄せた」というのかな?

こういう人たちは、そうした暗黒の世界が好きでそこにいるんですね。でも、なんで好きなんだろ? なんでみんな雰囲気がそっくりなんだろ? というより、1つの物体に見える! なんで? なんで? そこが知りたい!

あの裁判所にいた30人の中には、今では考えが変わり、明るい世界にシフトした人もいるかもしれませんが、まだ留まっている人もいるでしょう。

あの地獄の底からの発せられる「負のパワー」なら、5月8日の赤い液体のビジョンや、マイケルさんのクレープ屋さんのビジョンを飛ばしてきても不思議ではありません。私の興味はつきませんでした。

負のパワーが強すぎると、同じような周波数である負を引き寄せ、どんどん暗い人生になっていきます。いわゆる「不運な人生」というやつですね。

それを楽しんでいるのなら、気の済むまで楽しめばいいですが、嫌なら、そういう地獄グループから抜け出した方がいいですね。

私はもうこの研究からは、優秀な成績で卒業しました。献体してくださった方々には、本当に感謝します。ありがとう、さようなら!

神社参拝を私のライフワークにしてくださったのも彼らでした。量子力学では、振り子の法則といい、平衡を保つため、地獄と反対の方に引き寄せられたようです。

私は次の面白い世界に飛び込みます! ワクワクが止まらないぜ! ( by  Akane ❤ )




 



 


💎 三峰神社での物語( 呪詛と祓いと訴訟と神秘のエピソード )

 

 2020年の6月27日、あかねさんと三峰神社にいった。
 三峰神社って知ってる?
 西武秩父駅からバスで75分。
 バスでつづら折りの山道を曲がりくねりながら昇っていって、三峰山の標高1100mのところにドーンとそびえているのが三峰神社だ。

 秩父修験道の地としても有名だよね?
 青森・下北の恐山ほどの全国的な知名度はないかもだけど、埼玉のここ三峰山も霊峰としてかなり有名だ。
 あるひとは関東最大のパワースポットと呼び、またあるひとは憑きもの祓いの神社として語っていたりもする。
 ずっと後になってオサキ狐とか憑きもの祓いの存在なども知ったんだけど、なにせ今から5年もむかしの話だ。
 当時の俺には、そんな民俗学方面やオカルト系の知識はほとんどなかった。

 当時の俺は、とある陰謀論団体と大揉めして、全国的な集団訴訟っていう派手派手攻撃を受けていたのよ。
 くる日もくる日も嫌がらせのメールに脅迫の電話。
 お前の家に行くぞ! とかいう愛らしい脅迫電話。
 死ね! とか、ステーションワゴンで殺してやりましょう、などといった言論がショートメールやコメントで次々と届き、E-mail は1日で優に1000越えして、たちまち実用不能のツールとなり果てた。

 さらには訴訟ね ――― 前橋地裁から、東京地裁から、東京簡易裁判所から、さいたま地裁から( 後には新潟簡易裁判所から、大阪地裁、横浜地裁からもきた )10日に1度ぐらいのペースでそれぞれの訴状、準備書面が代わるがわる届き、それらに対抗するための第1,2,3回目の口頭弁論のための答弁書 ①、②、③ と書きつづけ、さらにはそれぞれの案件の証拠の収集、知人や各民事部への質問や連絡、証拠説明書書きなんかのために俺は忙殺された。

 ひとつだけの単独裁判じゃない、多勢に無勢の集団訴訟だもんねえ!
 弁護士はつけてない。簡単な法律の案内書を片手に、仕事のあいまに苛つきながら、俺は毎日訴状書きばかりをやっていた。
 知り合いのT社長は、おう、マイコー、民事なんか放っておけよ、勝っても負けてもどうせ10万クラスのションベン事件なんだから、放っておいても大したことにはならねえよ、と海千山千の一言を添えてもくれたけど、

―――― いやいや、そういった大人っぽいスルースキルは嫌なんですよ・・・。大丈夫、群れないと動けないような、あんな半チク連中にゃ、どうあったって負けやしませんって・・・!

 ほとんど意地になっていたのかねえ。
 民事裁判の第1回の口頭弁論ってのは、あらかじめ答弁書さえ提出してれば被告は特に出廷しなくてもいいんだよ。
 でも、俺は、制服組の特別警備の人垣に守られながら、馬鹿正直に全事件の全口頭弁論にあえて出廷した。
 カルト連中は傍聴席に鈴なりになって並び、裁判の最初から最後まで被告席の俺ひとりに罵声を浴びせつづけていたっけ。
 ああ、懐かしいなあ!(笑)

 本音をいうとね、そう、俺は餓鬼の喧嘩がしたかったんだ ――― 連中が自分より下の輩だと蔑みをこめて決めつけて、賢人勝負せずみたいな、勝手な安全地帯に要領よく逃げこむ大人路線は絶対に御免だった ――― そうすれば楽なことは分かってた ――― けど、俺はそうした大人理屈でもって、連中と自分とのあいだにインテレクチャルな見下し境界線を引きたくはなかった。

 いくら教祖を妄信しているとはいえ、一時期は行動を共にしていたこともある連中だ。
 連中が必死になってくりだしてくる精一杯の嫌がらせに、こっちも身体を張って迎えうってやろうじゃないか。
 そう報いるのが自分なりの誠実だと思っていたんだな・・・。

 ただ、このストイシズムはちょっとばかし応えた。
 ひとつの裁判が集結するのにもだいだい半年から1年前後はかかるからね。
 それが単発の短期限定なら対処の心構えも持つんだろうが、裁判がどんどん重複していって、1年どころか2年以上なんて規模になると、これはまあハンパないよ。
 実際には、こうした俺の訴訟絡みの生活は6年にも及んだ。
 3つめのさいたま地裁からの訴訟を受けたのは、まだ3件目に過ぎなかったんだけどね、正直いうと、俺はいくらか憔悴してた。
 そしたら、俺の事件をずっと傍観していたあかねさんが、ひょんなある契機から、俺の裁判に参戦してくれたんだ。

 これは・・・嬉しかった。
 あかねさんみたいなお嬢さんをこんな薄汚い泥試合に引きこんでいいものか、という葛藤はあったけど、俺に共鳴してカルト軍団に意見したあかねさんにまで脅迫状が届くといった事件があり、いくらなんでもこれは放置していいもんじゃないだろう、よし、あかねさん、一緒にやろう! といったことになったわけ。




 で、あかねさんと組んで俺が初めて相手側の集団スラップ訴訟に対して反撃したのが、あの令和元年(ワ)1818号という訴訟だったのよ。
 なんと、今から7年もまえの出来事よ!
 舞台は、浦和にあるさいたま地裁の民亊5部 ―――
 被告は、そのカルト組織の熱心な信者連 ―――
 そして、裁き手はこの裁判の後、この1818判決書内に前代未聞の108つの膨大誤記を残し、そのことを俺等が追及したことでエリートコース路線から転落してしまい、涙ぐみながら旭川地家裁へと左遷されていった、あのあらあら裁判官・石垣陽介 ――—!

 俺絡みでいえば、これは4つめの訴訟だったのね。
 役者も舞台もフルキャスト! 法廷怒声マシーンとしてのカルト連中も揃いぶみし、全く新しい司法世界の闇展開まで俺等を導いてもくれた、あれはまったく記念碑的な裁判だったな・・・(笑)

 でもさ、あかねさんが俺陣営に参加してくれることになったこのころから、関西のあかねさんの身辺に・・・奇妙なことが徐々に起こりはじめたんだ。
 これ、俺はこれまでどの媒体でも書いたことがない。
 法廷でも、ブログでも、youtube でも一言もいってない。
 あえていうことを避けてたんだよねえ、やっぱり、その・・・不気味すぎるから。
 裁判関係の記事に、非科学的なオカルト話なんか混ぜちゃ、これ、信頼失う道しかないもんね。

 けど、それは起こったんだ、マジで ―――。

 この1818号裁判スタートのちょうど1年前の2018年12月13日の木曜の夜、あかねさんが意識を失って某所の階段から転落して救急搬送された。
 いつも元気でよく歩きよく笑う普段のあかねさんを知っている俺からすると、これはまさに青天の霹靂だ。
 その日の朝の俺はたまたま夜勤明けでね、俺が講演のベンチに何気に座って立ちあがったとき、腰のベルトにつけてたきゅうりのキーホルダーがベンチ木の隙間に引っかかってプチンと切れたんだ。
 それはその年の8月にあかねさんと浅草の花屋敷にいった際に買い求めた、本物のきゅうりにそっくりなプラスティック製のキーホルダーだった。
 買うときに俺が冗談で、よし、これからこれをあかねさんの依代として大事にしよう! これになんかあったら、それはあかねさんに災いが及んだってことだ ――— なあんていってたから、切れたとき俺はそのことを思い出して「 えっ? これって、これからあかねさんに不穏事が起きるってこと?」と錯乱坊よろしく反射的に考えたんだ。

 だから、その12月13日の夜、あかねさんから救急搬送の話を聴かされて、俺は青ざめた。
 ただ、結構長い距離を落ちたにも関わらず、大きな怪我はなかった。
 原因は突然の貧血 ――— あかねさんは貧血なんてそれまで起こしたことはなかったんだけどね ――— 意識を失って素直に落ちたことが幸いしてか、( 人間って咄嗟のときになると体中硬直して、顔を庇った肘とか手首を折っちゃうことがわりかし多いんだ )打撲と脳震盪ぐらいで済んだ。
 頚骨も脊椎も鎖骨も手首も歯も無事だった。
 いちばんの懸念は脳震盪の後遺症だったんだけど、脳挫傷や脳内出血みたいなサイアク事態には至らなかった。

―――― けどねえ、めまいとかがときどき凄いんですよ、いまも・・・

―――― そこ2階でしょ? 立って歩いて階段降りようとしたらダメだよ・・・そういうときはそーっと座って降りなきゃ・・・

―――― はい・・・あと、顔・・・顔が2倍ぐらい晴れちゃって・・・

―――― うごっ!・・・大丈夫・・・?

―――― ええ、なんとか・・・痛みはまあ引いてきてはいるんだけど、腫れたところがね・・・なんか、青じんでるんです・・・

 しかも、あかねさんの災禍はこれきりじゃなかった。これはほんの手はじめだったんだ。
 これと前後して、あかねさん愛用のPC、プリンターなんかがイカレた。
 特にPCなんかはデータ保存もできずにオシャカになっちゃったんで、あかねさんも相当苦労してた。
 新規のに買い替えて、前機同様の必須データを再インストールするのは結構大変だったみたい。
 
 でも、あかね受難はまだまだ続く ――― 次は携帯がやられた。
 これもまたふいのポシャリであって、修理も効かない。
 やむなく新機種に買い替えたんだけど、その待望の新携帯も箱から出して電源を入れたのに作動しない。
 修理に出したんだけど、もうどうにもならない、すいません、不良品でしたとくる。
 どうにか新しい同機種を送ってもらうことになったんだけど、今度はいくらそれに充電しても全然充電が進まないときた。
 PC、スマホが必須の
仕事している人間にとっちゃ、これってほとんど死活問題だ。
 てゆうか、電子機器のこれだけの不調が同時多発で起こるなんて、結構稀なことなんじゃないか?
 俺にしたってガラケーからスマホに移るまでさまざまな機種に乗り換えてきたけど、あかねさんクラスの不調には1度も見舞われたことないもん。

 ていうか、このあかね受難って、どっか人間の恣意の香りがしてないか?
 恨まれていいはずの俺にこないで、中途参加のあかねさんのとこにだけ来ている、これら発信場不明の小さな災いたち。
 もし俺のところに届くはずのそれが俺の間近で弾かれて、それがあかねさんのところに流れてきたものだったとしたら・・・?

 あかねさんがほとんど見舞われたことのない貧血を起こし、急な階段から転落して救急搬送された。
 たまたま運よく大きな怪我はなく終えられたけど、逆に転んでいたら、それは死や大怪我に直結してもおかしくない種類の危険な転落だった。
 さらに、これに追随するかのような、あかねさんの数々の電子機器のふいの故障と不具合の連発・・・。

―――― なんで? これらのメカが・・・もしかして依代( よりしろ )の役を勤めてくれたってこと?

 「 古事記 」の伊邪那岐伊邪那美の挿話が思い出された。
 死者の国から抜けてきた伊邪那岐が、死人国から自分を追ってきた伊邪那美の追跡から逃げ切る為に、「 石 」と「 櫛 」と「 水 」とを投げる。
 伊邪那岐の身のまわりのこれらの玩具品が伊邪那岐の身代わりとなって伊邪那美の追跡を阻み、伊邪那岐はようやく伊邪那美の執念の追跡を振り切ることができた。
 しかし、ここで俺は常識に立ちもどり、「 まさかな 」と思ってしまった。
 つまり、この時点では、俺は自分のこの思いつきをあかねさんに話すことはまだできなかったんだ。
 
 そうやって俺とあかねさんが多くの控訴、反訴なんかにまみれて相変わらず苦闘していた2020年の5月8日 ――― に、またしても「 それ 」が起こった。
 ちょうど仕事の昼休みで休憩中だった俺の携帯に、電話がかかってきた。
 見ると、あかねさんからの発信だ。
 今では昼でもなんでも平気に電話をかけあうようになったけど、当時にお午から、しかも仕事中だと分かっているはずの俺宛に、あかねさんのほうから電話がかかってくるのは珍しかった。
 いくらか困惑しながら通話ボタンをONすると、

―――― あの、マイケルさん、こんな時間に電話してすいません・・・実は、信じてもらえないかもしれないとは思うんですが・・・

 その緊迫した声色だけで全部察した。こらただごとじゃねぇぞって。

―――― なに? どうしたの?・・・いってみ・・・

―――― あの・・・あたし、さっき仕事の合間にちょっと休んで、机の上をふっと見たら・・・なんか、赤い、血が落ちてるんですよ・・・。で、あ、鼻血? と思って鏡をとって見てみたんだけど、鼻血じゃない・・・血なんか鼻から出てないんです・・・。まさか天井から落ちてきたの? と天井を見上げてみても何もない・・・。なによコレ・・・気持ちわるいと思って・・・デッシュで机の上の血を吹いて、ゴミ箱に捨てました・・・。こんなヘンな話題ですいません・・・でも、なんか気味わるくなって・・・いま、こうして電話してみたんだけど・・・

 それ聴いたとき、俺のなかには響くものがあった。

―――― あかねさん、いい? この電話切って・・・そのテッシュ棄てたゴミ箱をあさってみて!・・・そして、スマホですぐその血を吹いたテッシュの写真を
撮って、それすぐに俺に送って・・・!

―――― あ。はい・・・すぐにそうします。

 でも、あかねさんからの再コールは思ったより時間がかかった。
 しかも、さっき以上に口調はうわずって、動揺してる感じだ。

―――― マイケルさん・・・すみません・・・なんか、ヘンなんです・・・ゴミ箱、探したんだけど、血ィ噴いたはずのテッシュがどこにもないんです!・・・えっ、なんで?・・・たしかにあたし、テッシュで拭いて棄てたはずなのに・・・。あれえ?・・・知らないうちにおでこかどっかを切っていて、それがたまたま机に落ちたんじゃないかと下にいるお母さんにも見てもらったんだけど・・・血なんか落ちるほどの傷らしいものは、どこにもないんです・・・えっ?・・・どうして?・・・なんで・・・?

―――― 落ちついて・・・あかねさん・・・大丈夫、うん、落ちついて・・・

―――― あたし、これまでマイケルさんにこんなオカルトっぽい話したことなかったですよね?・・・でも笑われるかもしれないけど、これ、夢なんかじゃないんです・・・あたし、昨日はゆっくり寝たし、仕事しながら眠くなるようなこともありません・・・夢を見たなら、それが夢だったっていつでも絶対分かります・・・あたし、完全に起きてました・・・目醒めている自覚がはっきりありました・・・でも、なんで?・・・なんで拭いたはずのテッシュがどこにもないの・・・?

 動揺してるあかねさんを落ちつかせて、昼休みだから今夜仕事が明けてから話の続きをしようといって、そのときの通話は切りあげた。
 で、その日、5月8日の夜に、俺はあかねさんに俺の思ってることを話して聞かせた。

―――― あかねさん、今日のお午のそれさ・・・たぶん、厭魅だよ。

―――― えっ、えんみ?・・・えんみってなんですか・・・?

―――― ま、呪詛だな。小さな呪いってとこかな・・・俺も初めて遭遇する。

―――― えっ?・・・あたしは自分の幻覚だったのかなあって思いはじめてました・・・。あんなはっきりした白日夢なんて、いままで見たことがなかったから・・・

―――― いやいや、俺だって素人だし、確信に満ちたことなんかいえやしないさ・・・。でもね、これはたぶん間違いない・・・俺らの訴訟相手の誰かに、そっちの世界に通じることのできる能力者がどうやらいるみたいだね・・・。これ、呪詛だよ・・・正式に訓練されたもんじゃないとは思うんだけど、連中のなかに獣筋の血筋があるか、飛ばせる資質のある奴がきっといるんだな・・・。

 

 
 1818で俺と共同原告だったあかねさんは、さいたま地裁で口頭弁論が開かれるたびに上京してきた。
 第1回目の口頭弁論の翌日の2020年の3月7日には、ふたりして日立の御岩神社に参拝した。
 ヘイトの上下線がたえず行き交う訴訟とかにまみれていると、なぜか神社みたいな静謐な空間に浸りたくなるんだよ。
 で、この第2回目の口頭弁論が開廷されるとき、あかねさんが「 ねえねえ、マイケルさん、今度の口頭弁論の次の日に、今度は埼玉の秩父にある三峰神社ってとこに行ってみませんか?」と何気に提案してきたんだよ。

 俺もあかねさんも3か月前にいった日立の御岩神社に感動して、いわゆるパワスポ巡りってやつにハマリかけてたから、この提案はまさに渡りに船だった。
 ただ、この三峰神社って名には、俺は聴き覚えがあった。
 うーん、どっかでこの名前は聴いたことがあるぞ。どこでだったかなあ? と蔵書をあさりまくってびっくり。
 うん、聴き覚えがあったはずだ ―――― 三峰さんってその筋じゃニッポン一有名な神社だったんだよ。

 およそ憑きもの祓い、呪詛祓いなんてジャンルにかけちゃ、ここ以上の場所はほかにない。
 しかも、ここの神社の眷属は、狛犬じゃなくて狼なんだからね!( 2枚目のフォトを参照 )
 けれども、本当に俺がびっくりしたのはそこじゃない、俺以上に神社のトーシロであるあかねさんが、なんの予備知識もないくせにそのものズバリの三峰さんの籤を引きあてたその運と偶然とに、俺はまず驚いたんだ。





 2020年6月26日の1818号の第2回口頭弁論は、凄まじいカオスのなかで終了した。
 傍聴席のカルトな面子は裁判長や俺等原告が発言するたびに嘲りめいた笑声や野次を飛ばし、明らかに俺等の訴状を読んできていない石垣陽介裁判長が俺やあかねさんの突っこみに戸惑ってよろめいた様子を見せると、石垣陽介に対しても思っきりの嘲り笑いを浴びせかけていた。
 厳重警備の制服組18名をつけて行われたこの特殊な裁判は、裁判進行を整える弁護士不在の本人訴訟であったため、めったには見られないであろう無軌道の極み、ほとんど狂気の域にまで踏みこんだ、前人未到の限界領域に達した。

 俺はいまではあらゆる裁判に興味のない人間となってしまったのだが、もしタイムスリップしてこのときの裁判を傍聴できるなら、入廷料に1万円払ってもいいと考えている。
 裁判としてどうかは分からないけど、見世物としてあれは凄かった。
 まるでサバト! 俺等を守る特別警備の制服組のひとらの顔も、みんな歪んだようにひきつっていた。
 俺もあかねさんもさんざん笑いものにされたが、裁判長である石垣陽介も俺等とおなじ嘲笑の棚に乗せられたんだ。
 裁判進行を司る裁判長として怒声や非難の叫びなら石垣陽介も慣れてはいたんだろうけど、ああしたカオスな嘲笑を浴びたという経験は初めてだったんじゃないか?
 目を白黒させて、悄然と法廷を眺めていた、彼のあのときの表情が忘れられない。

 けれども、そうなったのは石垣陽介裁判長だけじゃない、第2回口頭弁論を通過した俺等も彼同様にくたくただった。
 俺とあかねさんは口頭弁論終了後、浦和から秩父に向かい、秩父で1泊して、翌日の三峰神社参拝に備えた。
 呪詛祓いと憑きもの祓いで有名なあの三峰神社、ケモノ祓いの聖地とされている神社ってどんな場所なんだろう・・・?


 
 
 その翌朝、西武秩父駅から2時間バスに揺られて、俺等は三峰神社までやってきた。
 ただ、終着のバス停から三峰さんの大鳥居まで行くには、いくらかの上り坂をまだ登らなくちゃいけない。
 その上り路のとちゅう、あかねさんがぽつりといった。

―――― あれ? なんだかケモノのにおいがする・・・。

―――― えっ? と俺。そんなにおい何もしないよ。ケモノってどういうこと?
 
―――― うん、なんというか犬くさい感じなの・・・。

 ドキっとした。
 ここの参拝客のクチコミを前夜見ていたとき、霊感ありげなごく少数のひとが、あかねさんと同様のことをいっていたのを思い出したから。

 三峰さんは峻厳な神社として知られている。
 呼ばれたひとしか行けない神社だともいわれている。
 ちょうど梅雨のまっただ中だったんで唯一雨のリスクを懸念していたんだけど、俺等が足を踏み入れたととき、日はちゃんと照っていた。

―――― うわ~ 空気が全然ちがいますね・・・

―――― うん、別天地。まさに山だよねえ。何より木が元気。あと、オゾンのかおりが凄え。きてよかったねえ・・・

―――― あ。見て。狛犬がほんとに狼さんだ!

 ふたりしてもうはしゃいでいた。
 鳥居をいくつも潜り、潜るたびに空気が凛としていくのを肌で感じ、徐々に高揚していった。
 極採色の本殿に参拝し、見事な御神木を仰ぎ見て、龍神さんが浮き出てきたという有名な敷石も見た。
 そんな道のりの途中の何番目かの鳥居のまえで撮ったのが、記事冒頭にあげたフォトだ。

 自分で撮っておいてこんなこというのは恥ずいんだけど ――― これ、凄くね?

 実はこのフォトは撮ってからずっと持ってたんだけど、このフォトの特殊性って俺は全然気づいてなかったんだよね。
 あかねさんが石段を登って鳥居に近づいていくシーンをパシャッと撮っただけのもので、それ以上の意図なんかまるでなかった。
 もちろんあかねさんも俺も、肉眼ではこんなものが鳥居の下にあった( おられた?)ことを見ちゃいない。
 だから、撮り主の俺にしても、これはそういうフォトを撮ろうとして、強い逆光のせいで失敗した1枚という風にしてしか認識していなかった。
 ずーっと引き出し中の雑多な失敗フォトの1枚として寝かしたままでいて、このフォトの特殊性を発見したのは、なんと撮ってから5年後の2025年の1月、つまりはつい先月のことなんだ。

 失敗作だと思っていたから、このフォトはあかねさんにも見せたことがなかった。
 古いフォトやたまったSDカードの整理をしていて、たまたまこれを見つけたんだ。
 もちろん偶然 ――― それ以外のなんでもない ――― けど俺はその偶然にぶっ飛んだ。

―――― な、な、なんなんだ、こりゃあ! ってさ(笑)

 これが光のマジックなのか、神さん系の御方なのか、俺は知らないよ。
 でもさ、どう見てもこの白い方、質量のある有機体みたいに見えるじゃん?
 光っている輪郭線からしても、間違いなく気体じゃない、意思のある生命体の印象だ。
 ただ、俺は偶然に映ったこんなふしぎなフォト1枚で、俺等の世界の隣りあわせにある異界の実在を特に訴えたいわけじゃない。
 肝はそこじゃない ――― より大事なのは、俺とあかねさんが誰かから強烈な悪意を向けられて、それと対抗するために偶然知ったこの三峰神社参拝のその第1歩である鳥居のまん前で、すでにこのような「 イエス 」のサインを受け取っていたというその事実だ。

 5年前の俺たちには「 それ 」が見えなかったんだけどね、5年後のいまになってやっとそれの受領の手紙を受け取ったって感じかな?
 いってみれば、これは、俺たちの歩みが間違っていなかったという証明みたいなもんだからね。
 カルト組織との攻防。
 7年も続いた集団訴訟
 それから導かれた司法の石垣陽介、高橋譲、佐藤彩華、丹下友華らとの不正を巡る攻防・・・。
 どの悪意にしてもそれらと対峙するのは並じゃなかったからね。
 見当外れだろうと時期遅れであろうと、受信サイドを明るませてくれるこうした印は、そら嬉しいさ。

 印って超・大事だよ、なぜって人間は印で生きてる動物だから。

 ただ、俺とあかねさんとが三峰神社完全踏破をなしとげるまでには、まだもうひとつ難関があった。
 三峰さんには、実は奥宮っていうのがあって、
そのときの俺等の本命はむしろそっち側のルートだったんだ。
 三峰神社の奥宮は、秩父の妙法ヶ岳1,329mの高所にある。
 普通の登山ほど厳しいルートじゃないし、標高もそう高くはないんだけど、もちろんどこも舗装なんかされてない大小の石ゴロゴロの急な山路だし、片道だけでだいたい1時間半はかかる。
 天候や体調によっては登り切るのは結構大変だ。
 ここにいくとき一般的な「 参拝 」って言葉は使わない。「 登拝 」っていうんだ、ここ三峰さんでは。

 で、俺とあかねさんは褌を引き締めて、3枚目、4枚目フォトにあるような奥宮登拝路の鳥居をくぐったんだ。
 したら、急激に霧が流れてきた。十数m先もかすんで見えない、凄まじいほどの濃い霧が。
 


 
―――― わ。マイケルさん・・・凄い・・・霧が急にこんなに・・・

―――― 大丈夫・・・祓いのときには、霧と雨は吉兆だよ・・・!

―――― あとからきてた人たちもみんないなくなっちゃった・・・引き返したのかな?

―――― こんな霧だからね・・・あかねさんは大丈夫・・・?

―――― うん、全然ヘーキ! さあ、もっと行きましょう・・・!

 しかし、大丈夫じゃなかったんだ。
 奥宮行きの妙法ヶ岳ルートの山路を登りはじめてわりとすぐ、あかねさんがダウンした。
 足取りがだんだんに重くなってきて、それでもなんとか休み休み歩いていたんだけど、霧のなかのある休憩所の椅子に腰かけたきり、とうとう動けなくなってしまった。 
 いってなかったけど、あかねさんは健脚を絵に画いたような人なんだ。
 去年の師走には俺等はふたりして伊勢にいったんだが、その3日間で俺等は62km歩いた。
 そんなあかねさんが身体が重たい、こんなこと今までに1度もなかったんだけどな、なんて弱気なセリフをつぶやいて、腰を下ろしたまま立てなくなっている。
 どうしようか、と俺は迷った。 




 どうしようか? このままじゃ険しい山路を奥宮までなんてとても歩けっこない。
 もうちょっと休んでもらって、いくらか歩けるようになったら、2人で一緒にゆっくりと慎重に引き返すしかないか・・・。
 そんな風に考えていたら、そのとき俺のGパンのベルトがふいに切れた。
 1度も切れたことなんかない、丈夫なはずの皮のベルトがいきなり切れたんだ。

 落ちかけたズボンをとっさに抑えながら「 えーっ!」となる。
 ありえないだろう、こんなのは ――― と当惑しながらも思う。
 あかねさんもびっくりして、俺がベルト穴に紐を通して緊急修理に勤しんでいるのを見守っているうち、手にしたコーヒー牛乳を少しづつ飲んでいたら、なんだか体調がよくなってきたみたいだ、なんていってきた。

 おいおい、なんだか風向きが急に180度変わってきたんじゃないか!?

 立ちあがってみると、ついさっきまでの疲労困憊がなんだったのかと思えるくらい、すたすたと普通に歩けるじゃないか。
 こんなのアリかあ! と自分内で誰かが叫ぶのが聴こえた。
 いや、実際、あかねさんは本来のあかね体力を完全に取り戻していた。
 俺等は再び妙法ヶ岳の大小の石ゴロゴロの山路を、崖隣りの傾いだ細道を、ボコボコに木の根が盛りあがった凹凸道を歩き、それから40分あまりで最後の難関である鎖場の急坂も登りきって、念願の奥宮までたどりついたんだ・・・。




 小さな石作りの宮がぽつんとあるだけ ――― それが三峰神社の奥宮だった。
 だけど、そこにはかつて味わったことのない類いの、ふしぎな安堵と平安とがあった。
 深い霧のなかの中空
で、あかねさんと対話する。

―――― ねえ、あかねさん、俺、煙草喫いたんだけど・・・

―――― ダメです。ここは境内ですよ・
・・。

―――― いや、これ電子煙草だし、灰皿もいらないから、ほんのちょっとだけ・・・

―――― もう、むりばかりいうの、やめてください・・・。

―――― あのさ、あかねさん・・・さっき、あんなに具合わるそうだったのに、どうしていきなりあんなに元気になれたの・・・?

―――― 分かんない・・・なんかふいに貧血みたいに気分がわるくなったんです・・・でも、コーヒー牛乳飲んでるうちに、なんか去ってた元気がふいにもどってきた感じで・・・

―――― もしかして、あかねさんを奥宮まで行かせたくないって誰かがいたんじゃない?・・・そんな風には思わなかった?

―――― 気力が落ちたときにちょっとだけ・・・そんな風に考えました・・・。

―――― うん、そのひとってさあ・・・よっぽど・・・俺等を奥宮まで行かせたくなかったんだろうね?

―――― そうかも・・・しれませんね・・・

―――― てことは、俺等はそのひとの黒い思いを・・・これで祓いきれたってことになるのかな・・・?

―――― たぶん・・・全部じゃないけど、その何割かはできたんじゃないかと、そう感じますね・・・。

―――― ひょっとして、ここの眷属の狼さんが、呪の送り主のところに駆けていってくれたのかな・・・? 送り主の悪意を噛みつぶすために?

―――― 非科学的だけど、なんかそんな気がしますね。ふしぎ・・・いままでのしかかっていた重しみたいなのが、急に消えたみたい・・・

―――― 呪詛破り、ここに成就するか・・・ありえなすぎて、なんか笑えるね?・・・

―――― 神聖なところでそんなことをいうのは、よくないですよ。

―――― あ。でも、俺のベルトがふいに切れたのは・・・?

―――― それもやっぱり・・・ここの狼さんの仕業じゃないですか?

―――― えーっ! でも、なんでそんなことすんのよ? 俺、ここでなんかしたぁ・・・?

―――― 親愛、じゃないですかね? じゃれついてズボンに犬型の足班つけられたひとも・・・ここには結構いるみたいですよ・・・

 奥宮にいたのは総計して15分くらいだったんじゃないか、と思う。
 深い霧のなか、俺等のあとに登拝してくるひとは誰もいなかった。
 視界の効かない霧のなかで、草々の立てるかすかな葉ずれの音や、山自体の大きな気配の層にくるまれて過ごす時間は、めっちゃよかった。

 帰路の下りの路は早かった。
 俺等はわずか30分くらいで奥宮から神社本殿まで降りきってしまった。
 そして、登拝路入口のはじめの鳥居を出ると、なんといきなり霧が引いていくじゃないか。
 信じられない ――― さっきまでの濃霧がなんだったの? と思えるくらいの完璧ピーカンな高き青空のお目見えだ。


             ✖             ✖             ✖             ✖


 参拝前にくるみ蕎麦を食べた、神社入口のとこにある大島屋さんで一休みしてるとき、あかねさんが喉が渇いたといった。
 俺はそうでもなかったんだけど付き合うことにして、二人して自販機のとこまでいって、

―――― なに飲みたい? おごるわ。

―――― あ。ありがとう。じゃあ、炭酸。炭酸がいいな・・・

―――ー へえ、珍しいじゃん・・・あかねさんが炭酸なんて・・・うーんと、炭酸のどれ・・・?

―――― えーとねえ・・・このリアルゴールドのおっきいのがいいな・・・。

―――― 珍しいから俺もそれに付き合うわ・・・。

 と俺は先に自分の分のリアルゴールドを買い、次にあかねさんの分を買って、それをあかねさんに手渡した。
 そうして俺はお待ちかねの景観のいい喫煙所にいって、モクってたのよ。
 煙草喫って、あかねさんが休んでる大島屋の外席にいったら、あかねさんがヘンな顔をしてる。

―――― あれ? どうしたの?

 と問うと、あかねさんは黙って自分のリアルゴールドを俺の目前に差し出した。
 それがこのフォトだわさ ―――

 
 


 ビビった。リアルゴールドのペットボトルにいきなり「 降りやまぬ雨は、決してない。梅原猛だぜ~っ!!
 俺はもともと梅原猛フリークで、彼の著作はほとんど読んでいた。
 あかねさんにも彼の最もポピュラーな傑作「 隠された十字架ー法隆寺論ー」を紹介して、あかねさんもそれを読み終えたばかりの頃だったんだ、それは。
 これってほとんどありえないくらいのシンクロじゃないか。
 だって、あかねさんが珍しく炭酸を飲みたいとかいいださなければ、決してこの出会いはなかったわけじゃん?
 さらに俺が先に別のジュースを飲んでいたら、あかねさんは俺の分のリアルゴールドを買っていたことになり ――― それには有名実業家のありふれた処世訓が書きつけられていた。誰だったかはもう覚えてない(笑)――― やっぱりこんなような出会いは起こりようがなかったわけだし。

―――― 集団訴訟でワタワタしてるこのぐっちゃぐっちゃの環境下で、なんでよりによって梅原先生の、しかも、状況に合いすぎのこんな名言が鳴るんだぁ~!?

 三峰神社の境内のはしっこの大島屋の軒先の席で、俺等はしばらく茫然としていたんだな・・・。


             ✖             ✖             ✖             ✖

 
 以上がいままで石垣陽介事件関連で封印していた、いわば裏マイケルブログの隠し部分の一節です。
 俺等関係での騒動で一家揃って夜逃げしてしまった人間もいることだし、こういうことは表立って公表するべきじゃない、と俺は考えていた。 
 でも、いまのニッポンの混迷って超・スゲーじゃないですか?
 ジャニーズの崩壊、フジテテレビの体質露呈、中井クンの引退、あと兵庫の百条委員会の闇なんかももの凄い。
 思わずめまいに襲われそうになるこの混迷の時代に、やっぱりいつまでも黙ってるわけにはいかないよ。
 以前と同様に長い長~い記事になっちまいました。
 え~と、去年秋には腎盂癌になってもうダメかとも一時は思いましたが、俺は元気です。

 あ。ぶち切れた皮ベルトは、後ほど三峰神社社務所に送り、事情を話した上で宮司さんにお祓いしてもらったことを最後に報告しておきましょう。

 ベルトがぶち切れるなんて異常時の相談を、まったく驚くことなく静かに聴いてくれ、つつがなく処理してくれたここの宮司さんはやっぱ凄いわ。

 というわけで今日の俺記事はこれまで ――― 最後まで読んでくれたひとにありがとう ――― そして、お休みなさい・・・。       (ℱín)



 < 2025/02/15 07:43:05 あかね >

 2020年5月8日に、赤い液体のビジョンを見たことは事実です。仕事をしようとパソコンの前に座り、一度天井を見て、机の上を見てもまだあったので、目の錯覚ではありません。

 作り話? こんなオチのない話は作れません。

「精神的にまいっていた」ということもないですね。こういう経験は、後にも先にもあの一度だけです。
「階段落ち」にしても、私のとりえは、性格が明るいことと、健康なことだけなので、大人になって倒れたのは、あのとき一度だけです。ほんとに、不思議な体験でした。ほとんど怪我がなかったのは、いろいろな存在に感謝しています。

 もちろん、裁判中にあった出来事というだけで、一連の裁判や裁判の相手とは、なんの関係もないとは思います。
 これ以外にも、個人を特定できてしまうので、書けない不思議な現象はいくつもありました。
 最近思っていることは、みんなそれぞれ「自分の正義」で動いているということです。どちらが良いとか悪いとか、上とか下とかはありません。
 
 裁判の相手も、「自分たちの正義」でやっていたんだと思います。私からすれば、隠し撮りした女性の裸の隠し撮りを他人に送りつけたり、亡くなった方への冒涜だと言える、非礼なインチキ小説を書くような人物を利するような訴訟で、「ありえない」と思いましたが、彼らからすれば、「過去の友情」を守りたかったのかもしれません。どちらの考えが正しいとか、間違っているとかはないと思います。すべてが「相対性」の世界なのです。

 石垣陽介裁判官のいい加減な審理、判決も、「私の正義」からすれば、ありえないことなんだけど、彼からすれば、ネットの中のつまらない争いなんてものは、さっさと適当に終わらせよう、そうでもしないと、自分の身が持たない、誰が命を失ったわけでも、病気になったわけでもないだろう、

「そもそも税金の無駄遣いだ」という正義なのでしょう。始める前から「5万円位でいいか」って、思っていたのが透けて見えます。

 私の知り合いのMさんは、裁判所からの連絡を全て無視して、郵便物も送り返してましたが、不戦でも、3万円負けただけですから、必死でやるだけ損というものです。
 プリンターインク代、紙代、交通費代で、真剣にやればやるほど赤字です。弁護士をつけたら、さらに赤字です。

 石垣裁判官に至っては、「否認する」という答弁書だけで、何一つ質問に答えていないのに、勝訴していました。

 まっ、私も、この先、こういうレベルの訴状が届いたときは、石垣裁判官方式で、答弁書だけ提出しておきます。裁判官ならよくて、民間人がダメなんてことは、ありませんからね。

 検察は、自分たちが犯人だと決めつけ起訴した人を、事実はどうあれ、有罪にすることだけが目標になっています。昔から起訴した被告の有罪率99.9%!これ、明らかに崩れてますよね。紀州ドンファン嫁も、疑わしきは被告人の利益になりました。私、個人的にはちょっと怪しいと思いますけど、刑事訴訟の原則からは、無罪で正解でしょうね。

 検察が証拠まで捏造することが、袴田事件で証明されました。しかし、これは、袴田事件だけではありません。
 マスコミで報道されませんが、和歌山カレー事件は、犯人だとされている林真須美さんの家から出てきたヒ素の容器には、家族の誰の指紋も付着していませんでした。家宅捜索の4日目に突然出てきたのです。
 しかもこの容器のヒ素は、お祭り現場にあったヒ素の付着した紙コップのヒ素とは、別のものだということです。
 この紙コップは、カレーを作ったジャガイモの皮だとか、お肉が入っていたプラスティック容器なんかと同じ場所から出てきたので、普通に考えれば、カレーを調理した主婦か、その場所に出入りした人が犯人なんだけど、林さんは、鍋の番はしましたが、調理には参加してないんですよね。

ヒ素を使った保険金詐欺をしていた怪しい一家」ということで、犯人だと決めつけられ、彼女が無実だというベクトルの証拠は採用されません。しかも、彼女の旦那さんやその友人が、自分で少しだけヒ素を舐めて、一時的に体調を崩し、保険金をせしめていたのです。

 検察は、真犯人を有罪にするのではなく、とりあえず誰でもいいから有罪にするのが目標なので、今、こうした態度が問題になっています。
 自分たちに都合の悪い証拠(=起訴した人が無実の証拠)を隠すことなんて、常識的に考えておかしいでしょう。裁判官がそれを黙認しているのはもっと変です。

 これは、検察が「自分たちこそが正義だ、真実は俺らが作る!」と誤解してきたしっぺ返しなのです。
 勝とうが負けようが、その人に何の影響も与えない訴訟というのは、結構あるのでしょう。例えば、某政党関係者の名誉毀損の濫訴がそれですね。

 こういう裁判と真剣に取り組むと、裁判官は5万人くらい必要かもしれません。
 だけど、人生がかかった訴訟や、命がけの訴訟には、いい加減な審理は絶対にやめてもらいたいですね!



   



💎 2024年9月 マイケル 癌になる ――。

 10月中旬 リハビリのため町田市街をウォーキングする俺


 なんちゅうか、TVドラマとかで幼少期から何十回となく見てきたあのシチュエーションに落ちちゃいました ――― うん、あの癌ってやつに。
 ずーっと自分外の他人事と決めこんでいたんだけどね、あらら、いよいよ自分の番がまわってきたのかよ、って。
 2024年の9月20日のこと。
 血尿は1年前の7月から既にあって、そのときには病院に行って検査したりもしたんだけど、なーんの異常もなかった。
 今度は半年後にきてくださいね、とかいわれていたけど、俺はもともと病院が嫌いなひとなんで、体調がいいことにかまけて、まる1年間ずぼらに放っぽらかしにしてたわけ。
 したら今年の9月始め、突然、血尿がでた。
 それも、病院関係職の俺がビビるほどの、濃縮した真紅すぎの鮮血としかいえないものが。
 おろろ。真っ赤すぎるじゃんか、こりゃあ・・・。
 こらヤバイんじゃないかとさすがに20日に病院にいくと、なんでもっと早く来なかったんですか! とドクターに怒鳴られた。

―――― ここ、見てください。右の腎臓が腫瘍でふくらんでるでしょう? これ、たぶん90%の確率で癌だと思います。腎臓の癌というのは、膀胱なんかのそれとちがって、20分の1の発生率という珍しいものなんですけどね・・・。

 という若いドクターの診断を、俺はへえーって聴いていた。
 全然ドラマチックじゃないの ――― 聴きながら俺はこういう宣告話をするときに、ドクターって人種がどんな仮面をつけるのかっていうほうに興味があって、自分の癌のCT画像よりむしろそっちに気を
取られてた。
 その診察室のドア越しすぐのところを、珍しく年少の女の子が何かごねながら通っていくのがちょうど聴こえて、ああ、あの子なにごねてんのかな? ずいぶんと幼い感じだけど病気なのか? 可哀想だな、なんて他所事のほうに心のズームが向かうくらい、俺は醒めてた。

 もともと俺は生きることへの執着というのがあまりない人間なんだ。
 もちろん俺だって生きることは皆とおんなじくらい好きですよ。
 選り抜きのダチと遊ぶこと、食べること、喋ること、動くこと、旅行すること、議論すること、ダベって笑いあったりすること ――― なんてみんな超好きだし ――― 恋すること、グルメに料理、あと素晴らしい音楽、映画、文学、歴史、あと絵なんかに触れるのも大好き。
 ただね、そういった楽しみっていうのが真夏の彩光下のものであって、人生が真夏だけの要素でできてるもんじゃないってことを、意識下で体感してるみたいなところが昔っからあった。
 
 だから、癌と聴いて、おお、今度はでっかい衣替えだなと、そんな風に俺は思ったんだ。

 9月30日に入院して10月1日に手術。
 発見から最短の日取りを選んだ。右腎臓と尿管の摘出。オペには5時間かかったそうだ。
 ICUに4日いて、最初の48時間は水も飲めない完全絶食。
 これは応えた。イスラムラマダンなら夜になれば飲食はできるんだけど、病院じゃそうもいかないからね。
 ICU2日目にはじめて朝食が喰えるようになったんだけど、ベッド柵に橋渡しした簡易テーブルにむかって、ちゃんとした座位がつくれない。
 身体が起こせない、痛くて、伸ばした足と胴体を90度にできないんだ。
 なんとか自動ベッドを動かして強制的に座位をつくったんだけど、足と胴の角度はせいぜい70度程度が限界、両手をぐーっと伸ばして、遠いテーブルからトーストをやっと取って、シーツにマーガリンをこぼさぬようにセコセコ気を使いながら、のけぞり体勢で食事するのは、久々の食事だという喜びはあったものの、全体的にやっぱ侘しかった。

 しかも、病院食って量がないのよ。
 48時間ぶりの朝食は、パン1枚と、小さな牛乳パックと、薄味ちょこっとの野菜サラダと、漬物とお茶だけ。
 口腔内も元気時とちがってカサついて噛むたびに違和感があるし、身体が喜んでるって手応えもまっすぐ感知できない。
 3分でガツ喰いし終えた直後に腹が鳴って、ちくしょう、ひとり歩行できるようになったら絶対ここを脱走して、印度カレー屋にカレー喰いにいったる! と誓いを立てた。



 ICUに4日間いて、5日からやっと大部屋に戻れた。
 リハのおかげでゆっくり歩きならどうにかできるようになったけど、邪魔な尿バルーンをぶら下げながら歩かなきゃいけないし、廊下を渡ってすぐのところにある洗面台までいくのも最初は一苦労だった。
 けど、回復のため、なるたけむりしても歩くことにした。
 あと、鎮痛剤もできるだけ使わないようにした。痛みで眠れなくて鎮痛剤頼んだのは2回だけだ。
 寝ること、歩くこと、喰うことを至上原理にしてなんやかんややっているうち、手術痕の癒着防止用のドレーンも3本とも抜け、入院後1週目の10月6日、最大の枷だった尿バルーンがようやく尿道から外されることになった。
 
 嬉しかったね、これでやっと両手をフリーにしで歩けるわけだから。
 術語、初めて病院ロビーまでよたよたと上がって、玄関からちょっと出てみた。
 日差しがスゲー眩しかった。
 
 翌7日の昼食後、リハなどのスケジュールが空いてるのを確認して、初めての脱走敢行。
 上だけ私服に着替えて、何気ない顔つくって、巾着袋だけ右肩にひょいと下げて、忙しげなNS、Dr、職員、OSの合間を縫って、病院の門外にはじめて出た。
 病院から150mほど先の公園までいって、缶コーヒーのブラックを飲む。
 あかねさんに電話して入院状況なんかをちょっと話す。
 おお、俺なら元気だよ。今さ、念願の脱走中 ――― とかガキかよ(笑)
 足取りはまだ全然不確かなんだけど、娑婆の風は極上だった。

 翌日の8日の昼食には焼そばが出た。おお! とか思ったんだけど、なんと1分で完食。しかも、完食直後にまた壮大に腹が鳴った。
 いかん、もっと喰わんと死ぬ、と思い再び娑婆へ ――― 誓いの印度カレー屋までトコトコと地味に歩き、極辛マトンカレーのライス大盛りを5分で完食した。
 あれ、死ぬほど旨かったな ―――。




 10月9日になって待望の退院 ――― 妹夫婦が病院にクルマで迎えにきてくれ、一路町田へ。
 退院後の10日あまりを妹夫婦のところでリハしながら過ごした。
 寝る・喰う・歩くの三位一体を自分の掟にして、1日最低10km歩くことを目標にした。
 最初は退院したら自分のマンションにまっすぐ帰ろうと思っていたんだけど、妹が強硬にに反対したために、珍しくその意に従ったんだよね。
 あとになってその選択は正しかったことが分かった。
 調理に掃除に洗濯なんかの諸々の家事って、アレ、体力ないときには意外と消耗するんだよ。
 1日10kmウォークのノルマも、家事とかに気を取られてたら、そっちで消耗して、たぶん達成はできなかったんじゃないかな。
 その意味で妹夫婦には本当に感謝してる。
 センキュー、〇子と〇一さん ―――!

 10月12日、後輩のヤンキー娘のマブダチ・ドッシーが町田まで見舞いにきてくれる。
 病院にもきたがっていたんだけど、俺の病院は感染症予防が徹底してて、予定と許可のない見舞いは家族といえども禁止されてたんだよ。
 久々に話しまくり、歩きまくり、めっちゃ笑ったんで ――― たぶん10km以上は確実に歩いたと思う。
 サンキューなーっ、ドッシー ―――!
 礼いって夕刻にドッシーを駅まで見送ったら、帰り路には足腰がガタガタになってた(笑)



 
 10月後半、町田リハを開始して10日くらい経ったころかな、今度はあかねさんがわざわざ町田まできてくれた。
 こらもう大歓迎ですよ!!
 あかねさんと俺って、なんというか逢うたびやたら歩くんですよ。
 1日20kmなんて当たり前 ――― 記録では1日で42km歩いたことなんかもある。
 最初はあかねさんも術後の俺の回復ぶりを心配して、あまり歩かせないように気遣ってくれてたんだけど、話盛りあがって笑いまくってたら、人間ってそんなこと忘れがちになっちゃうもんじゃん?
 横浜そごうからシーバスに乗って、なんやかんや船上で喋りまくって山下公園に着いたときには、なんか俺のほうが結構バテてて、氷川丸のすぐのところでちょうど湾岸掃除してる作業服姿のひとりのおじさんの麦藁帽が、たまたま風にスパーっと飛ばされたのを見て、それをキャッチしてあげようと反射的にタタタッって横走りしたら、その急な動きにまだ塞がってない腹部の手術疵が耐えきれず、麦藁帽を手にしたまま俺は横にステーンとコケちゃった。

 あかねさんが「 きゃっ!」なんていって、おじさんもびっくりして ―――
 いや~ 怪我もなんもなかったんだけど、あのときは驚かせて御免ねえ、2人とも、なんか!!
 
 といったような感じで、俺の癌手術の予後は順調です。
 幸い、転移の兆候なんかもいまのところない。
 ま、この先どうなるかは分からないけど、体力もそこそこついてきて仕事にもなんとか復帰できたし、PCにむかえるようにもなってきたので、このまま粛々と回復の娑婆道を歩いていきたいものだなあ! なあんて今静かに思ってる。

 都合がよすぎる?
 うーむ、そうかもね。
 ただ、俺は、人間っていうのは、最後まで自分を自分にとって都合のいい物語の中枢に置きつづけたい生き物だと思う。
 俺もそうしたい。生と死は俺がそれまで思っていたみたいにきっちしした境界線なんか全然もってなくて、どっちともほとんど重なりあいながら存在しているんだなあ ――― ということが、今回のことでよく
分かった。

 でっかい楡の下の木漏日の路を歩くとき、散歩者のうえには眩しい光のかけらも枝葉の影も同時に、なんの配慮もなしに降ってくる。
 俺等は、自分じゃどうあってもそれらの日影群をコントロールすることはできない。
 俺等にできるのは、そんな複雑で不条理な陰影模様の道を、できる限り自分なりの歩方でしっかりと歩くだけだ。 
 だったら、なにが起ころうとも、しみったれた闇模様より光のかけらの眩しさのほうを瞼に感じて、この不思議なアラベスク文様の小路を、ビビらず、自然体で、ときどき近くの木立を歩いてる散歩者仲間と視線を交わしたりしながら、できることなら笑って、うん、歩いていきたいもんだよねえ・・・。

 今回の超・個人的な記事( というよりこれは絵葉書かな?) は以上です ――― お休みなさい。

 

 


 













💎 袴田冤罪事件はただの事件じゃない、これは『 袴田革命 』なんだ!

 

 1966年の6月30日( S41年 )、静岡県清水市の味噌製造会社専務一家4人を殺害したとして、強盗殺人犯として死刑が確定していた袴田巌( 当時30才 )の再審( やり直し裁判 )で、2024年の9月26日、静岡地裁の國井恒志( くにこうし )裁判長は、検察の捜査には3つの証拠の捏造があり、袴田さんが「 犯人であるとは認められない 」として、これに無罪をいい渡した。

 なんと、事件発生から58年も経てからの無罪確定だ!
 無実の罪で捕われた男が、長すぎる不当拘留の末、念願の自由をとうとう勝ちとった。
 まるでレ・ミゼラブルの主人公ジャン・ヴァルジャンさながらだ。
 これ以上ドラマチックな生涯ってあるもんじゃない。
 おかげでこの袴田事件は、ギネスブックにも「 世界一長い期間拘留された死刑囚 」として紹介され、BBCをはじめとする海外の報道機関からも次々と注目を集め、いまや狭い島国 JAPAN の矩を越えた< 世界的な事件 >として認知されつつある。

 けれども ――!? 


 と、ここで僕はどうしてもこの耳ざわりな疑問符を挟まないわけにはいかない。
 なんとしても僕は「 わあ、袴田さん、無実になって本当によかったね。司法とか検察とかにも色々間違いがあって、時間もかかりすぎたりもして、袴田さんもさぞ大変だったんだろうけど、これで正義はちゃんと実行されるってことは実証されたわけだし 」という一派とは合流できないのだ。

 彼等一派は、この袴田さんの無罪判決を、ハッピーエンドで終わった事件として認識している。あるいは、させようとしている。
 すでに終わった事件、いろいろと問題はあったが過去に流れていく歴史のひとコマとして記帳されていく事件、事件そのものは悲劇だったといえようが、全体としては未来への教訓を残してくれた事件 ――― として。

 現代ニッポンの大多数はこちらの派閥だ。
 大マスコミ各社も、NHKも、ネットを統制するアルゴリズムも、表の媒体はすべてこっちの系列だ。
 TVのヴァラエティ番組は、どれもこれも大本営発表そのままの、上意から下された袴田冤罪事件の「 上っツラのあらすじ 」しか取りあげない。
 判りにくい法律用語を日常語に翻訳する手間なんてかけたら視聴率が落ちてしまう、とでも思っているのだろうか?
 検察や司法や警察の不手際がこれほどまでに悲惨な冤罪事件を招いてしまったというのに、どの局もその責任の所在を追おうとはしない。
 さすがは報道の自由度ランキングが世界第70位 ( 2024年 )」のニッポンだわ(笑)
 トラブルを招きそうなネタ報道はなるたけ短時間に切りつめて ―――
 事件の奥底が見透かされないように、ピントはめいっぱい甘く、ソフトフォーカスバリバリの輪郭しか見えないような濃霧画面で ―――

—――― ま、ま、皆さん、無難に無難に・・・お上の機嫌をそこねないよう・・・瓦版の内容はなるたけ尖らないようにいきましょうや、ってか?

 そうやって現代社会機構のネガ部分の象徴であるかのようなこの袴田冤罪事件を、誰もがしゃかりきになって「 過ぎ去った過去事件 」の鋳型のなかにむりくり押しこめようとしてる・・・。


 だからこそ僕はあえていう。
 いやいや、これは過去形でもないし、すでに終わった事件でもないんだよ、と。
 というよりこれは革命なんだ ――― 終わった事件どころか、これからの混乱のほんの序章でしかないんだ ―――ちょうど 仏蘭西革命において初端を飾ったあのバスチーユ監獄襲撃事件のように。

 袴田冤罪事件の今回の無罪確定はね、いいかい、現在進行形の革命なんだ ――― 僕は個人的にこれを「 袴田革命 」と呼んでいる。

 
 

 静岡地裁の國井恒志裁判長の袴田再審での判決は、司法史上初といっていいほど画期的なものだった。
 検察の押印機関ともいわれ、ときには下部機構とまで陰口を叩かれていた司法が、こともあろうに検察の捜査に 組織的な捏造があるとまで断定したのだ。
 それも3つ ――― ひとつ目は袴田さんの本人自白の調書。
 この連日休みなく行われた、過酷な拷問のような連日の取り調べにより引きだした袴田さんの自白を、國井恒志裁判長は「 黙秘権を侵害し、非人道的なもので獲得された虚偽のもの 実質的な捏造であると問答無用の強行姿勢でまずはバッサリと切り捨てておいて、


 2つ目の重大争点 ――― 袴田さん逮捕後1年目に現場味噌工場の味噌タンクから発見(❓)された袴田さんのズボンとされるもの ( この衣装は、発見後のカラー写真では、血痕に鮮やかな赤色が残っていた )についても、「 1年以上味噌漬けされた場合に血痕に赤みが残るとは認められない 」として、この衣類投入は、捜査機関による捏造( 注:捜査のでっち上げ )であると國井裁判長ははっきりと再確認をするがごとく認定し、


 3つ目の重大争点 ――― これは事件当時袴田さんが履いていたとされる()ズボンの共布( ハギレ )に対する云々。
 これはズボンの裾上げのときに 余った裾をカットした布にことをいうんだけど、それが袴田さん宅の箪笥の中から発見された、と検察はこれまで半世紀あまり主張しつづけてきたわけよ。
 静岡地裁の國井裁判長はこうした3つ目の検察主張も返す刀でぐわんと退けて、これら3つの争点とも、すべて袴田さんを事件の犯人としてでっち上げるために検察が行った「 捏造 」である、と判決のなかで声高に断定したんだ。




 うひゃ~っ、びっくり! ――― こんなハードボイルドな啖呵が検察に対して投げられたのって、たぶん史上初なんじゃないかなあ?
 どっからどう見ても明らかに喧嘩売ってるよ。
 より正確にいうなら、真っ正面から検察相手に戦争を仕掛けているとでもいうのかな?

 僕的には、これ、むちゃくちゃに痺れたな。
 むろん司法を自らの下部機関みたいに見做していた検察サイドからすると、こんな司法の態度はほとんど侮辱みたいに映ったことだろう。

 実際、そのとき検察のトップに座ったばかりの、★ 女性初の検事総長・畝本直美 ★ の会見での動揺ぶりったらなかった。

 

 

—――― 加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「 5点の衣類 」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理的・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「 5点の衣類 」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません・・・。( 2014.10.8 畝本直美検事総長 談 )


 え~と、以上がいま現在の検察TOPの談話なんだけど、歯切れがわるいこと夥しいと思わんかね、諸君?
 畝本直美の直美っていったら、「 まっすぐ美しく 」っていうのが本来の意味なんじゃないの?
 けれども、この直美ちゃんの談話には、そういった潔さが微塵もないよ。
 ひろゆきさんじゃないけど、はあ、それってあなたの意見じゃないの? って意地悪なツッコミを思わず入れたくなるくらい。
 しかも、この談話の次展開では、直美ちゃん、なんと検察としての控訴を断念する旨を述べているんだよ。
 
 ① どうゆうことよ ――― 静岡地裁の再審判決が呑めないんなら、こんな怨みごとめいたことなどいわないで、とっとと控訴すりゃあよかったじゃん?

 ② 呑むんだったら、こんなみっともない怨みごとなんて漏らさずに、これ以上は控訴しない旨をはっきりといって、自分ら組織の過去の過ちについての反省点を述べ、これからの改善策についての抱負とかを口にすればいいんだよ。

 控訴する・しないの選択肢は、本来、上記の2択しかない。
 だけれど、梅本直美検事総長の選択は、そのうちのどちらでもなかった。
 もちろんあなたの立場が、実力で勝ち取った「 てっぺん 」だなんて僕は思っちゃいないよ。
 あなたはたぶん検察組織全部のために立てられた、ただの人柱だ。
 これまでの検察の不手際の歴史の責任精算をほんのちょっとだけでも遅らせて、今後も多く浴びせられるであろう轟々たる批難を受けるためにあえて検察前面に掲げられた、弾よけのための可哀想な生贄だ。
 
 超・中途半端! 本音をいわせてもらえば、めちゃ恰好わるいしダサすぎだ、と思う。

 こんな無責任談話でくくられたんじゃ、袴田事件で殺された味噌工場の専務一家の4人も、半世紀も独房で暮らさざるを得なかった袴田さんの苦悶の青春も、まったく浮かばれないよ。

 案の上、この畝本直美検事総長の談話が発表されるやいなや、とんでもない検察の不祥事が次々と、まろび出るようにポコポコと世に出てきた ―――。



 

 これ知って、僕は思わず絶句したよ。
 彼、自分が検事正になった祝いの席で、部下の女検事を飲ませてベロベロにして、正体のない彼女をタクシーに乗っけて宿舎まで運び ――― 検事用のオンボロの宿舎に運んだっていうのが、なんかいじましくて泣ける(笑)――― 死体みたいなその女検事を暴行したらしい。
 しかも、そのときのセリフがいい ――― 「 これで、お前も俺の女だ!」( 実際にはこういったらしい。紹介記事は短縮版 )
 うはっ、おみゃーは昭和日活映画の悪役スターか!?
 時代ズレもここまでくると凄まじいや。

 2024.6.25.被害女性( 部下の検事であったという )の訴えにより逮捕。
 北川による性的暴行が行われたのは2018年の9月12~13日。
 事件後、北川は事件の発覚を恐れ、被害女性に「 自分の時効まで飯をおごるからいわないでくれ 」
 「 俺はもうじき辞めるけど、俺が辞めたら訴えないか?」などといい続けていたという。
 円満退官まであと3年という2019年11月、突如依願退官して弁護士登録。
 2024年、被害女性はPTSDになり、苦しみ続けた末、とうとう被害を検察幹部に報告 ――― という流れだったようだ・・・。

 
 北川健太郎元検事正単体だけでもこれだけ凄まじいとというのに、検察にはまだそういった人材があまたいるんだよ。
 まさに人材の宝庫! ちげえねえ!(笑)
 うん、これは不謹慎すぎる黒ギャグだな。そこいらへんは分かってる。
 けど、こうしたギャグでも飛ばさなきゃこの先へは進めない、みたいなところが、この「 検察&司法 」の事件のなかには確実にある。
 イメージ的には沼だよね。村外れにある人があまり訪れない古い沼から、夕立ちのあとに突然、狸の腐乱死体なんかが打ち上げられた感じ。
 その種の事件の続編をば、じゃ、いきましょうか ――― 





  これ、無実の罪で248日拘留されたプレサンスコーポレーションの元社長・山岸忍さんが、なんとか無罪を獲得したあと、「 違法な取り調べで冤罪がつくられた 」として国に損害賠償訴訟を提訴した事件関連なんだけど、山岸さん側の原告サイドが取り調べの違法性を検証するために「 取り調べの録音・録画を提出せよ 」と国側に訴え、大阪地裁も2023年の9月にこれを認め「 4日間・およそ18時間 」の提出を求めたんだ。

 けれども国サイドは即時抗告。
 そして、これを2審で受けた大阪高裁のどんでん返しがいいや。
 プレサンスコーポレーションの主張を肯って、「 実際にPCの取り調べをした検察の録音・録画を、4日間・18時間分を提出せよ 」という大阪地裁の判決を、2024年の1月、大阪高裁の判決は「 1日・48分の提出ならば認める 」 との超・大幅大幅短縮版! として修正してきたわけさ。
 笑いを取るためにやってんのかと思うほどの、この見え見えのドタバタ大回転(笑)
 なんてド派手な隠蔽メリーゴーランドなんだ、これは!
 取り調べを全部公開されたら、検察の立場がなくなる、と忖度したんだろうね。
 このへんだけでも、検察と司法とのブラックなタッグ心理が読めてきそうなもんじゃないか。
 
 普段だったら、これで事件はまたしても藪のなかってことになる。
 1日48分の動画公開なら、検察は取り調べのヤバイ部分をいくらでもカットできるし、恣意的に模範的な、暴力的でない取り調べ画像を見せて、ねっ、うちではヤクザチックな取り調べなんてちっともやっちゃいないでしょ? と開きなおることもできる。

 恐らくこのとき、検察サイドはほっと胸を撫でおろしたりしたんだろうな。
 でも、安心するのは早かった ――― 2024年10月17日、最高裁のいきなしの英断決定で、この大阪高裁の決定は棄却され、検察は新たに17時間50分の取り調べ映像を公開せねばならない! という最悪状況に追いこまれることになったんだ。

 さらにはこの事件を担当していた調べていた特捜部の 田淵大輔検事 は、山岸元社長の部下を罵倒したり、机を叩いたり、弁解を遮って大声で15分以上怒鳴りつづけたりの違法な取り調べを行ったということで、 特別公務員暴行凌辱 の容疑で刑事裁判にかけられることが正式に決定した


 まったく笑えない話だ ――― 警察官や裁判官じゃなくて、現役検事が刑事裁判の被告になるのは、これが初めてだそうだ。
 うん、泣きたくなるほど情けない話だよ。
 ねえ、そう思わない? ――― 検察TOPの 畝本直美検事総長!?

 検察篇のラストに、この畝本直美がまだ検事総長に就任する以前、まだ東京高等検察庁検事長でいた時代に投稿されたキノシタ薬品というひとのあるXを、ここに提示しておきたい。
 嫌だよ~、これは。秀逸だけど嫌なんだよなあ~ ――― 日本の権力構造が、なんかかつての藤原氏支配じみてきているというかね ――― 藤原氏は皇室と姻戚関係を結ぶことで、だんだんと権力の中枢に伸しあがっていったんだけどね、それと似たいびつな匂いを僕は感じるよ。

 権力好きな虫たちが夜行灯の光に集まってきて、靄みたいにむりむりとでっかくなっていくあの感じ・・・そのへんをピンポイントで突いてやって ――― GO、キノシタ薬品さん!





 と ――― ここまで僕は「 検察vs司法 」という検察が悪玉で司法がヒーローみたいな、わりかし単純な二元論的な話の流れのなかを漕いできたんだけど、ここからは検察のみが悪玉だという一方的な流れは止まります。
 もともと袴田冤罪事件にしても検察の片輪走行のみじゃダメなのは当然なんであって、検察の捜査結果を司法が肯ったからこそ、世界に冠たるあの袴田冤罪事件が成立できたわけなんだし。
 そのへんの事情は、袴田さんに死刑判決を下した多くの関係者が、みんな、つい最近まで叙勲の勲章を貰いつづけていたことからもよ~く分かる・・・。

 法務省では毎年正月の3日の朝になると、官僚のお偉いさんたちが正装して、みんなしてバスに乗りこんで、堀向こうの皇居へ出かけていくんだよ。
 皇居内で慰労会みたいな会が催されて、それには陛下も参列されて、みなさんその席で談笑するんだってさ。
 僕は何度かそのバスを見送ったことがあり、そのたびに、ああ、ニッポンの上級国民の夢っていうのはこういうかたちをしてるのかあ、と呻ったもんだ。
 
 ま、どんな夢を見ようが個人の勝手なんだけどね ――― そうした個々人のエゴな夢を維持するために、袴田さんみたいな市井の無罪のひとを拘置所に何十年も押しこめておいていいってことにはならないよ。
 個々の栄華のために、国体の一部である検察、あるいは司法の権威とか面子やらのために、あるいは日本の警察が世界的にも屈指の優秀さを持ち、起訴有罪率が99%にもなるという神話のために、不法な起訴やいい加減な審理をしていい、ってことには絶対ならない!

 検察だってもともと優秀なひとが集まっているんだろうし、司法にしてもそれは同様だろう。
 だけど、その初心を忘れて、自分の代にそうした疑惑事件の再審を認めたりしたら、同期や近い先輩後輩の居心地のいい今の環境を結果としてぶち壊してしまうことになりかねない。

—――― だからさあ、〇〇ちゃん、頼むからそっち系のヤバイ闇案件は、なっ、俺らが退官したあとでやってくれよぅ・・・。

 めんどくておっかない、手をつけたら障りがありそうな公の正義より、自分らの生活まわりの小さな平和だけ実践していこうぜ、ってか。

 そういった個々人の無責任と面倒事を後まわしにしつづけてきた大きなツケが、袴田事件プレサンスコーポレーション事件の、あるいは大川原加工機の事件の、それぞれの冤罪に対する因縁の再審花を咲かせたんだ、と僕は思う。

 ついこないだの10.28にも、こうした 因業の新花 が2つひらいた。

【福井女子中学生殺害事件】再審開始決定 供述は「捜査機関による不当な働き掛け」で作り出された疑い | 文春オンライン (bunshun.jp)

【飯塚事件】福岡高裁が証拠品リスト・捜査報告書の開示を検察に勧告 弁護団「裁判所が大きく踏み出した」(FBS福岡放送) - Yahoo!ニュース


 ま、人情として自らの既得権を守りたがる検察の立場も分からないじゃないけど、ここまでくるともうこれはドタバタコメディですわ。
 けど、いまさっきもいったけど、これは検察のみの崩壊じゃない、検察の起訴を司法が認めないことには、そもそもの冤罪自体が成り立たないわけなんだから。
 つまりは双方いけないってことですよ ――― どちらもダメダメさん ――― ということでなるたけ公平に ――― じゃ、次、今度は、司法のほうを落とそうね ――― トップバッターはこのひと!


 


 ねえ、皆さんも呆れたでしょう、これは?
 なんか普通じゃ考えられない事件だもんね。だって、こんなことしたら、そらバレるに決まってるじゃないの?
 司法の皆さんも「 はあ?」と泡食ってると思うな、これだきゃあ・・・。
 ちなみにこの裁判官さんの名は、佐〇〇一郎 というらしい。
 これはもう弁解の余地ないでしょう ――― ま、これほどまでのことがバレても、裁判官っていうのは捕まる率は低いらしいんだけどね。

 そして、あともう一人は、そう、あの人です ――― いま現在仙台高裁民事1部にいらっしゃる、僕らのアイドル、あの 石垣陽介裁判官( 43期 )!!







 僕とあかねさんとのタッグと、かの 石垣陽介( 43期 )との悪縁は、R元年にまで遡る。
 当時の僕は、平成の時分に東京地裁に300人近くの傍聴人を集めて騒動を起こした、ある陰謀論カルト団体と対立関係にあり、その某カルト団体の信者連から厄介極まる「 全国同時多発集団訴訟という嫌がらせ攻撃を受けて、ほとほとまいっていた。
 当時の僕は法律なんてものに興味の欠片ももっていなかったし、「 法学 」とか「 判例 」とか「 審判 」とかいう単語を聴いただけで、むしろ生理的嫌悪感がこみ上げてくるような口だった。
 法的知識に関して疎い、というより無知であったそんな僕を、そのカルト組織の党主を批判したから、という名目で、全国津々浦々の彼の信者たちが、その党首のいうまま、憎っくき仇と目された僕に対して、嫌がらせ目的の「 スラップ訴訟 」を同時に複数で仕掛けてきたのだ。

 前橋地裁から、東京地裁から、さいたま地裁から、新潟簡裁から、もう一つさいたま地裁から、さらには再び前橋地裁から ――― 。
 ひとつの民事裁判が決着するには、だいたい1年はかかる。
 控訴、反訴、別訴等なども勘定に入れると、その手間は結構膨大だ。
 反訴や別訴の件で、僕は横浜地裁や大阪地裁などにも行った。
 弁護士をつければ手間暇の大部分は凌げるのだが、当時の僕には金がなかった。
 訴訟攻撃だけでなく、彼等カルトは僕の個人情報も握っていたので、携帯にかかってくる嫌がらせ電話も、また、嫌がらせメールの数も膨大だった。
 脅迫や殺害予告はいくつも受けたし、1日に受ける誹謗メールも優に2000件をこえていた。

―――― マイケル、そんなのいちいち馬鹿正直に受けるこたぁないんだよ・・・放っとけよ、そんなの・・・どうせ民事だし、大したことにはならねぇよ・・・。
 
 と知り合いの社長からいわれたんだけど、僕は馬鹿正直にそれら全部を受けた。
 にわか勉強のために買った法律手引書とネット情報を教師に、僕は下手糞な答弁書を書きつづけ、多くの口頭弁論にもほぼひとりで出かけ、敵側の傍聴席にいるカルト信者の集団から、憎悪に満ちた口汚い野次をひたすら受けつづけることになった。
 もっとも裁判所で襲われるようなことはなかった。
 ( 注意:実をいうと、1度だけそれはあったんだ。気になるひとは、ちょっと下のほうにある、次紹介の僕ブログへの過去記事URLからを参入どうぞ! )
 なぜなら、そのカルト集団は、いつぞやの東京地裁の騒動ですっかり有名になっていたおかげで、危険防止のために彼等関係の裁判には、常に制服組の特別警備が十数人、さらには法廷入廷時に金属探知機による詳細な手荷物検査が行われ、入廷者は全員財布のなかまで入念にチェックされることとなり、誰の危険物も入廷以前に没収されてしまったからだ。

 そんな僕の窮状を見かねたのか、R元年、初めて友人のあかねさんが僕と共闘してくれることになった。
 R元年(ワ)第1818号 ――― これはいままで受ける一方だった僕が初めてこちら側から仕掛けた反撃だった。
 原告は僕とあかねさん ―――
 被告はそのカルトの原告の2人 ―――
 そのさいたま地裁の民事法廷で初めて出逢ったのが、この 石垣陽介( 43期 )だったわけ。


 

https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/43065ab834108fef48f495c9d868ccd4


 上記 の扉をあけて見てもらえば一目瞭然だと思うんだけど、結局、この石垣陽介( 43期 )は僕等の訴状をまったく読まずに判決を書き、R2年6月26日にやっと出たR元年(ワ)I818の石垣判決には、なんと19ページ中に108箇所もの誤記( というか全くの事実誤認 )があった。
 誰が考えても膨大すぎる数だ。
 2審の控訴でこの石垣誤記を初めて認めた 東京高裁筆頭裁判官だった 高橋譲( 35期 )は、口頭弁論開始1時間前に石垣判決を見つけてまっ青になり、控訴審に30分も遅刻してやってきた。
 こういうのって普通新聞ネタクラスのスキャンダルなんだけどね(笑)
 僕等の訴訟は弁護士をつけない本人訴訟だったもんだから、この 高橋譲 のスキャンダルは、そっと闇に葬られた。

 高橋譲 はこの石垣1818号判決のなかでの過ちを認めた。
 認めながら、その108つの膨大な過ちのうち、必死になって70箇所を訂正した。
 頑張ったのは認めるけど、高橋さん、あなた、やっぱりアレじゃあ全然訂正しきれてないんだよ!
 それなのにこれだけ異常な過ちがある石垣1818号の下級審審理自体は正しかったといい、あなたは僕等を負けさせた。

 2022年の1月、僕等は石垣陽介( 43期 )をターゲットにした R4年(ワ)3333号国家賠償訴訟 を提起した。
  すると、その年の10月25日に突如として 石垣陽介 は、それまで所属していた東京高裁から北の最果てである旭川地家裁所長への左遷が決定した!
 そして、2審の審理を決定した 高橋譲 も翌年の3.12.僕等の3333号国家賠償の進行とともに依願退官していたのだ。
 念願の任期満了の円満退官まであと7か月というぎりぎりの時期になって、なんでまた!?


 石垣陽介の膨大誤記と調書改竄を争点とした僕等の3333号はまさに司法にとって鬼門であって、3333号の1審を担当した 丹下友華裁判官( 57期 )は、
 僕等の1審結審後の3日後のR5年4月1日に 司法研修所教官へと左遷 となり ―――

 それから3333号の傍流訴訟であったR4年(ワ)21202号の1審を担当した 佐藤彩香裁判官( 59期 )のほうも、僕等の1審結審の翌日の、やはり丹下と同日のR5年4月1日に 最高裁秘書課参事官へと左遷されてるんだから、これはもはや冗談事じゃあ済まされない!!



 


 
 検察がダメなら司法もダメダメ ――― 不正と不正義と誤魔化しと後ろむきの保身とが渦巻いてるのが見えるだけ。
 現在の我が国ニッポンの国体である彼等は、もはや 官僚マフィア だよ。まったくにおいて救いようがない・・・。

 法律に疎い僕等は、最初のうち袴田事件のことなんかほとんど知らなかった。
 耳にしたことくらいはあったけど、それが実際にどんな事件だったのかなんて全然分からなかったし、こういうとなんだ!? と思われるかもだけど、自分の日常とあまりに遠い彼岸の事件だと思って、正直いってそう興味もなかった。

 だけど、実際に実物である 石垣陽介高橋譲佐藤彩香本人丹下友華 などと法廷で議論したり怒鳴りつけたりもしているうちに、このひとたちが全然誇りのない、ハリボテみたいな連中だってことがありありと、肌で分かった。

 彼等は権力という風車の機構のなかの、ただの歯車だった。
 一介の、根性なしの、ただの臆病な兵隊だった。
 その認識は苦かった ――― けど、この苦いリアルこそ僕等の真実だった。

 僕は、いまもこの認識を噛みしめているところだ。
 袴田冤罪事件は、決してなくならない。
 これからもこんな冤罪は山ほど出てきて、かつての天然痘のように、ニッポンという船の竜骨を徐々に腐敗させていくことだろう。
 もちろんそうはさせたくないと考えて踏んばっているひとが一定数いるだろうということも、僕等は知ってる。
 こういうひとは少数だが、検察にも司法にも警察内にもいる。
 そのひとたちが声なき声を連合させて、秘密裏に編んだ小さな正義をそれぞれ編みあわせ、気の遠くなるほどの歳月をかけてそれぞれの織物同士を大きく繋ぎあわせて、それを青空に向かって高くたかーく掲げて、初めて今回のような「 袴田巌さん冤罪事件の再審 」を始動させ、とうとう袴田さんの無罪を勝ちとれたんじゃないのか!?

 まだ、みんなはそこまで考えてはいないようだが、先にもいったたように、僕は、この事態を「 革命 」だと考えている。
 現に、ここでは描ききれないほどの検察の冤罪再審 ――― 石垣以外の司法の大不祥事も、今までじゃ考えられなかったほどの規模で、バンバンと表舞台に登場してきている。
 どっちとも手狭で閉鎖的な組織だから、互いのスキャンダルは閉鎖組織の常として、いざというトラブル時の抑止力みたいなつもりで、それぞれの最終暴露兵器を暗黙の了解のうちに監視しあいながら大事にストックしていたはずだ。
 ほら、民間でも専務派と常務派の派閥間の諜報戦なんかによくあるアレだよ。
 そうしたリーク情報が、この袴田さん無罪決定を契機に、これほど無遠慮に系統発生してきた事実に、今更ながら人間の浅ましさを痛感させられる。
 いまの中途半端な安泰状態のまま、得をしたまま逃げきりたいという思いの安易な人間がこれほどまでに多くて、そのそれぞれが皆「 やられるまえに殺れ!」とばかりに引き金を引いてとっとと逃げていくさまは、鬼のものか蛇のものか、それとも怯えに逆切れした小心者の乱心か、あるいは餓鬼猿のただの痴れ唄なのか・・・。

 ああ、確かに ――― いまはまだそれの序章に過ぎないのかもしれない。
 革命はいつでもドロドロのカオスから派生する。
 仏蘭西革命の初端に不世出の英雄と讃えられたロベスピエールもサン=ジェストも、誰も抑えきれないカオスの激流に次々と呑みこまれ、結局、ギロチンの露と消えていくしかなかった。
 すぐ先の未来も見えず、それまで常識とされていた秤も読みも全く通用しなくなるのが革命だ。
 悪夢と正義と祈りと騙しとが一緒くたに時代の大鍋で煮られるような、こんなサバトみたいな常夜のカーニバルを革命と呼ぶ ――― なんてほとんどの人が信じられないのは当然とも思うけど、僕はニッポンの国体を成す検察と司法のただなかでふいに炸裂したこの
不吉な運命花火は、革命の色をしていると感じるね。

 今年の9月、腎臓癌がふいに発覚して、この10月1日、僕はオペを受け、右腎臓と尿管とを切除した。
 ICUに4日いて、4日目の朝、ベッド柵につかまって立とうとしたら、急な血圧低下で冷や汗がばーっと出てひっくり返った。
 このとき初めて死を意識したんだけど、その認識はそれほど不快なものじゃなかった。
 どうせ人間、あの世にもっていけるのは思い出だけだ。
 地位も、名誉も、財産も、官位も、勲章も、あっちにはもっていけない。
 だったら、その思い出をいまよりももっとギラギラと、焼けつくほど眩しく輝かせてみたいじゃないか ――― うん、そうだ、それしかない ――― そのために僕は闘う。   
ℱïñ .